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マーシャルさん(薩摩琵琶とオルガン) [音楽全般]

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以前にもご紹介したがアイルランド人の薩摩琵琶奏者、マーシャルさんが、日本名「蘭杖」と名乗ってのコンサートを世田谷区岡本にある「松本記念音楽迎賓館」で開いた。プログラムの前半がオルガン、後半が薩摩琵琶の語り。この会場には小型のオルガン(2段鍵盤と足鍵盤、8ストップ)が設置されている。これもとても面白くて、いっぱい書きたいことがあるが長くなりすぎるのでまたいずれ。

後半が薩摩琵琶、で、オルガンと薩摩琵琶、というのはなんか関係なさそうだが、両方とも西洋、東洋で古い楽器の歴史をもち、中世の頃おもに盲人がこの職業に就いていた、という点で共通点もある。日本で完璧な基本をこなした人だが、ユニークなのはすべて自作、もしくは節づけ、をしたもの。西行法師や太田道灌のテキストをもとにしたものが多かったが、特に私の興味をひいたのは、旧約聖書の中の「伝導の書」第3章に作曲したもの。「薩摩琵琶で旧約聖書を語る」ということをいったい誰が思いつくだろうか。

ご承知の方もあろうがこの第3章の中の1節は新約聖書にも引用され、ブラームスがこれに基づいて彼の最後の歌曲「4つの厳粛な歌」を作曲した。マーシャルさんが引用したのは、「生まれるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり・・・」で始まる有名な一節。この旧約聖書の「伝道の書」は不思議な部分であり、なにかしら、仏教、特に親鸞上人の他力本願の思想と相通じるものがある(と私は思っている)。旧約の中では私のもっとも好きなところなのだ。薩摩琵琶については私はよく知らないがここでの彼の撥さばきは前半で演奏されたオルガンのストップの選び方とかなり本質的に似ている。音色づくり、という点で、オルガンという複雑な楽器でも薩摩琵琶、という単純な楽器でもそのひとの個性は強烈に感じられる。やはり西洋人である。日本人が日本の楽器を扱うとこういう音には決してならない。でも私はこれもありだと思っている。日本人がベートーヴェンを弾いて西洋人に多少違和感をもたれようとも、日本人としてのオリジナリティはなくならない。世界の人に受け入れられる、とはそういうことだ、と日本人も腹をくくる必要がある、と感じた一晩だった。聴衆は全員暖かい拍手を送っていた。
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