活断層の上にいた! [プライベート]
今朝の新聞を見て少しびっくりした。見覚えのある写真が載っているではないか。これは私が第2次大戦中、疎開して小学校4年生から約2年間過ごした四日市市河原田小学校(当時は三重郡河原田村。河原田国民学校)である。この写真は半年くらい前に、妻が撮影したものだが、もとより、私がいた当時はこんなモダンな校舎ではなく、木造の平屋建てだった。だが校舎の場所は変わっていないと思う。
この校舎が活断層の真上に立っていたことが最近分かり、危険性にかんがみ、市が移築を考慮中、という。まあ、私はいつ大地震で校舎がつぶれてもおかしくないところにいたわけだが、それでも、当時私の生まれた町(三重県四日市市)は空襲で丸焼けになり、私の住んでいた家は爆弾の直撃を受けていたから疎開が2ヶ月遅ければ私は間違いなく死んでいた。それに比べれば、活断層の真上、といってもリスクのレベルは全然違ったのだ。私は活断層の上に引っ越したおかげで生き延びたのだから。少なくともあれ以来、60年以上の間学校は大地震でつぶれてもいない。このままじゃ将来が不安だ、という程度なのである。
人生、万事塞翁が馬という。よくこの年まで災害にも遭わず、生きていたものだ、とつくづく思う。ちなみに、この小学校の校歌は昔私が作曲したものだが、今でも歌われているのだろうか。
2009-06-17 17:34
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