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リストのソナタの分析の難しさ [ピアノ音楽]

昨日、ある学生とリストのソナタのレッスンをするはずになっていた。が彼は形式、構造が全くつかめないままこの曲は弾けない、と言い出し、1音も出さないまま、とうとう1時間は曲の分析の議論で終わってしまった。

無理もない。このソナタの構成の複雑さは、ちょっとやそっとの楽式の常識ではかれるものではない。リストが多大な影響を受けた作曲家、なかでもベートーヴェン、シューベルト、ワーグナーを抜きにして理解は不可能であろう。私も実は気になっていたところだったので、先達の意見はともかく、自分なりに分析をしてみることにした。誰の分析を見ても、みんなそれなりに苦心をしているものの、私なりに納得のいくところまでのものはまだみたことがない。私とて誰にも納得のいく結果がでるかは心もとないが、ピアニストとしていい加減には放置できない。詳細はブログ上では到底無理であるが、骨子だけでもとりあえず書き出してみる。

これだけのことは最小限いえると思う。基本的なソナタ形式の理解はもとより前提として:
(1)ベートーヴェンのやや変則的なソナタ、たとえばOp.27の1と2。
(2)フランクなどにみられるの循環形式に関する理解。
(3)ワーグナーの楽劇。たとえば「ラインの黄金」の指導動機の変容の理解。
(4)リスト自身の他の作品に見られる主題の変容の実際
少なくともこれらをふまえた上でないとこの曲のアプローチは難しい。

基本的に、序奏(最初の複縦線まで)とつづく第1主題の提示が曲のすべての基本をなしている。これにより全曲がソナタ形式、もしくは多楽章のソナタを見据えた統一的な巨大な作品となっている。たとえば、緩除楽章に相当する、といわれる、嬰へ長調の部分。これさえも序奏主題と緊密な動機的関連性を持っている。これも見いだすのは少し難しいかもしれないが、ワーグナーの作品を少し詳細に知る人間にはさほど困難ではない。

少し複雑な曲を分析するとき、気をつけなくてはいけないのは、誰しも既成概念にとらわれて色眼鏡でものを見やすい。例えばある曲をソナタ形式だと思ってしまうと、何でもそれに当てはめて考え、自分にとって理論上、わかりにくいところはネグレクトしてしまう傾向がみられる。1曲ソナタや交響曲を分析するなら、可能な限りのソナタや交響曲を知る必要があろう。ソナタの概念からはみ出したものも、音楽の構成上必要だから作曲家は既成概念を無視しているので、はみ出し部分の、よって来るところを知る努力も欠かせない。矢代秋雄さんがよく、「勘ぐりアナリーゼ」と皮肉っていた。

(追記)今日1日かけて曲全体の詳細な分析を終えた。基本的にシューベルトのWanderer-Fantasieに範をおいていることが明らかになってきた。(これは別に私の新説ではなく、誰かがすでに指摘していたと思う。追認したに過ぎない)細部の主題労作については楽譜上ですべて明らかになったと思う。リストは「ソナタ」と題したが、もうこうなったら、FantasieだろうがSonateだろうがどうでもいいようなものだが、リストはソナタ形式の「再現部」に非常にこだわったところがシューベルトと異なる。やはり「ソナタ」なのだ。途方もない曲である。



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