SSブログ

HELVETIA [メルクリン]

IMG_0556.jpg
 ドイツとスイスを結ぶTEEに有名なラインゴルトのほかに「HELVETIA」があった。メルクリンのセットはTEE時代の塗色でコンパートタイプの窓が9個の1等車と、食堂車、小窓の解放室からなる1等車の3両セットだが、これには展望車はついていない。展望車とこぶつき食堂車が欲しい人は42991として発売されたものを一緒にどうぞ、というわけらしい。

 この写真の2両は全く同型だがもう20年くらい前に当時発売されている限りでのラインゴルトに近いものを4両買った。前のほうがそれである。後ろのほうが42990として数年前に食堂車を含め3両セットで発売されたもの。台車が精密になったことと、窓枠や屋根の色がちがう以外は全く同じ。だから行き先表示板さえ気にしなければいろんな列車を組むことはできる。(ただし、細かいことを言えば20年前のはmade in Germanyの文字があり、最近のは単にMärklinとしか表示がないが質的に違いがあるとは思えない)


 列車名の由来をたどるのはある程度ヨーロッパ史に通じていないとなかなかよく分からないことが多い。実は私も由来を知らないものが結構ある。ヘルヴェティアはスイスの古名であるが、現在の国境そのままというわけではない。もう一つ、これもECで「Rhätia」という列車があるがこのレティアというのはやはりスイスの地方名でロマンシュ語を話すChurを中心とした地方。これは全く言葉がわからない。ラテン語にちかい、という人もある。古代ローマ史を読むとラエティアという地名がよくでてくるが、これは現在のレティア地方より、はるかに大きな地域を指すらしい。数ある列車名を詳しく調べていくだけでもヨーロッパの文化史にかなり奥深く分け入ることができるように思う。
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 3

Akira

私も最初スイスが何故「CH」で略されているのかわかりませんでした。これはご存知のように、Christi Helvetiaの略称ですが、このHelvetiaは仰る通りスイスとドイツを結ぶTEE列車名にもなっています。Rhaetiaについては、記された文面で初めて由来に気づきました。あのChurを中心に走るRhaetische Bahnもそこからきているのでしょう。私が在独中に良く休暇で訪れたスイスの田舎の村Sedrunもエト・ロマンス語圏です。地名からしてドイツ後でもなくイタリア語でもない地域というのがわかりますが、村民は皆スイスドイツ語を普通に話します。
スイスという国は4つの異なる言語を持つ国なので、美しいだけでなく知れば知る程本当に奥深いですね。
by Akira (2009-11-09 08:46) 

klaviermusik-koba

私もずっと気になっていたのですが,どうやらCHは、Confederatio(n) Helvetica(ラテン語ですが,英語風にnをつけることも)が正式名称のようです。ただ,おっしゃるようなChristi Helvetiaも,全く間違い,とまでは言い切れなくて,日本人にニッポンか,ニホンかどちらが正しいか,と外人にきかれても答えられない日本人がほとんどのように,スイス人自身もあまり良く判らないのかもしれません。Sedrunもロマンシュ語圏なのですか。なるほど。

アルプスにいた古代ヘルヴェチア族は農産物の出来ない過酷な山地にいたので,主としてガリア人(今のほぼフランス)の傭兵として生計を立て,故国に報酬を送金して今の豊かな国の基礎を築いた,とどこかの物の本で読んだことがあります。

HelvetiaもRheingoldもRheinpfeilもドイツのTEE客車列車時代は1等車は共通で運用をしていたのでしょうか。塗色は同じですよね。
by klaviermusik-koba (2009-11-09 16:58) 

alpine

鉄道模型関連のネットサーフィンをしていて、このブログにたどりつきました。記事の日付が2009年11月とのことですので、今更とお思いとは存じますが、私は長年スイスのチューリッヒに駐在をしておりましたので、以下、記載させていただきます。

CHはスイスの正式名称のCONFOEDERATIO HELVETICA =スイス連邦です。通貨(コイン)等にも表示されています。またヨーロッパ各国の自動車にはそれぞれの登録国を示すステッカーをつけていますが、例えばドイツはD、フランスはF、イギリスはGBで、スイスはCHです。

なお、ご存知のように、TEE車輛は当初、小豆色・クリーム塗色でサイドのスカートは黒色(いわゆる黒袴)でしたが、その後、高速対応車両はスカート部も小豆色(いわゆる赤袴)となりました。 また、同じTEE車輛でも青・クリームの塗色車輛が登場するのは、それからしばらく後のことです。

TEE牽引で有名なDB BR 103型電気機関車は、当初、小豆色・クリーム塗色で登場し、後にDB赤に塗りかえられましたが、この103型電気機関車には青・クリーム塗色のものはありませんでした。


by alpine (2013-07-12 20:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

南相木日記ベルリンの壁崩壊20年 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。