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ポーランド独立記念日 [日本ショパン協会]

 ポーランド独立記念パーティーにお招きを受けたのでどしゃぶりの雨の中、車を運転してホテル・ニューオータニへでかけた。ポーランド独立記念、というからには、毎年この日に催し物があるのだが、いつもはポーランド大使館で内輪に祝われるくらいで、今年に限ってはなぜ、こんなに大々的に祝賀パーティーがあるのかと思ったら、日本・ポーランド国交樹立90周年、という意味が大きい上に、来年のショパン生誕200周年をアピールする、というねらいもかねているらしい。

 不思議なことにポーランドが独立して何年、ということが招待状にも、今日の会場にもどこにも記されていないし、大使の挨拶の中でもきかれなかった。その時期はどうやら日本・ポーランド国交樹立より、ほんのわずかだけさかのぼる程度のようなのである。正確なことは分からないものの、100年はまだたっていないことになる。当然ながら、というべきか、パーティーには事情に詳しい日本人客も大勢いていささかのレクチャーも受けた。どうやら、第1次大戦後、プロシャ、ハプスブルグ、ロシアの3国の分割統治から解放されてポーランド共和国として、発足した時点をさすらしい。ポーランド王国の歴史をたどれば中世にまでさかのぼるが、ポーランド人としてのアイデンティティが確立したのがその時期、ということのようである。日本という国はわからないくらい昔からあってそれが当然、と思っている我々には理解が難しいのだが、いろいろの民族が入り乱れて相争う歴史を繰り返した国にはとりわけ独立国家であるという事実は重要なことに違いない。

 ヤドヴィガ・マリア・ロドヴィチ大使と私とはすでに面識のある間柄だし、来年5月末から6月初旬にかけて開催される日本ショパン協会主催の「ショパン・フェスティヴァル・イン・表参道」の2週間にわたる催し物のオープニングに記念講演をお願いしてある。タイトルは「ショパンと能」。ショパンと能がいったいどう結びつくのか私には分からないが、能に関しては大変な学識をお持ちのようで、もとより大使の日本語は完璧である。面白いものになりそうなのでぜひ大勢の方にお聞きいただきたい、と願っているが、何しろ会場のキャパシティーは150人なので限界があるのが残念。

音楽家の顔があまり見られなかったのは意外だったが,日本のコンサートを終えたばかり,というツィメルマンに会った。来年また日本に来るからよろしく,とのこと。

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(追記)ポーランド独立記念は1918年、と定められているそうです。したがって今年で91周年ということになります。とすれば、ポーランド共和国独立の翌年、正式に日本と国交を結んだことになります。ポーランドと日本はそのはるか以前から民間レベルでの文化交流がありました。ショパンの時代は、ワルシャワを含めてロシアに蹂躙され、ロシア語を強制され、ポーランド語を使うことすら禁止されていたということですから、悲惨な時代にショパンは生きたわけです。ショパンを始め、多くのポーランド貴族がパリに亡命していて、そういう保護環境のもと、パリの文明に刺激を受けてショパンの才能が一気に花開いた、という事実は皮肉といえば皮肉です。ショパンはハーフであるにもかかわらず、死ぬまで祖国をポーランドと思い定め、一生祖国の舞曲マズルカを書き続けたのです。
 

 
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