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日本ショパン協会賞決定 [日本ショパン協会]

日本ショパン協会の「昨年度に一番すぐれたショパンを演奏した若手の演奏家に贈られる「日本ショパン協会賞」が一昨日の理事会で決定したのでお知らせします。選考基準の大まかな内容は:

(1)若手の演奏家であること(特に厳密に年齢が決まっているわけではない)
(2)日本人のピアニストであること
(3)ショパンのプログラムが演奏内容の重要な位置を占めていること(例えばいくらすぐれた演奏でもバラード一曲、などでは対象にならず、ショパンの演奏家として多方面の評価に耐えるだけの分量と内容があること)
(4)基本的に国内で演奏されたものに限る

等で、実際の演奏を聴かれた理事、もしくは協会指定の音楽評論家の推薦があること、などであるが、これだけではすべてを網羅できないので、第三者であっても日本ショパン協会の理事等を通じて推薦されたものも選考の対象となることもある。最終的に担当理事に提出された録音物等を聴いて理事会の論議を経て決まる。

今年は実川實、中桐望、外山啓介、坂田知樹、魚谷絵奈の5名が最終的にノミネートされ、理事会の慎重な審議を経て、昨年オールショパンプログラムでリサイタルを開催した中桐望さんに決定した。

中桐望さんはワルツOp.64、バラード3番、24の前奏曲、コンチェルト第二番(室内楽版)というプログラムで抜群の演奏を披露した、ということで、最終的にどの理事からも異論は出なかった。珍しいことである。ここ2年、該当者なし、の年が続いたので、今年も該当者なし、となったら困るなあ、と事務局長がやきもきしていた。たいてい、カンカンガクガクの議論が出てなかなか決まらないのが通例だが、今年はほぼ全員意義なしで決定したことは誠に喜ばしい。

ショパンフェスティバル終る [日本ショパン協会]

一週間にわたって繰り広げられた第6回目のショパンフェスティバルが無事終了した。ほとんど連日ポーランド大使館から誰かが出席され、最後の打ち上げパーティにも流暢な日本語で挨拶をいただいた。それにしても、日本に赴任されるポーランド大使館員はほとんどが日本語が実に達者である。

今回も私は一部のコンサートにしか出席できなかったが、年々充実しているようで嬉しく思っている。最終日はショパンコンクールで入賞した二人の入賞者がそれぞれコンチェルトの一番を素晴らしく演奏し、好評を博した。私の編曲になる室内楽版も、最後の最後までミスプリントの訂正に追われたものの、本番は編曲者本人にも満足のいくものであった。何と言ってもN響の、それもほとんどがトップメンバーだったこともあり、非常に熱心な練習の成果もあって、聞かれた人が一様に驚かれたのが「この編成でオケの響きがするのですね」ということだった。必要に応じて重厚な音を作り、場合によって室内楽的繊細さも表現できる私の試みはどうやら成功したようである。「貴族の館でコンチェルトを聞いているよう」と表現された人もいた。

そうは言うもののこの効果が発揮できるのはせいぜい500人規模のホールが限度であり、2000人規模のホールでは演奏に適しない。これまで多くの編曲の演奏を経験して、この一番のコンチェルトの編曲と編曲初演が一番最後になったのは幸運だった。ショパンのオーケストレーションの悪さもほぼ解消され、オーケストラ的重厚さと室内楽的透明感がこの編曲の特徴であり、それこそが私が目指したものでもあった。それと大切なことだが、演奏メンバーが各パートを楽しんで弾いてくれている、という感じが伝わって来て、やはり書法にはこだわるべきものだ、との感を深くした。それでもなお、何箇所か改良すべき余地も散見されたのでまだ手を入れ続けてさらに完璧を目指したい。

ショパンフェスティバル2015 [日本ショパン協会]

いよいよ来週月曜日から恒例のショパンフェスティバルin表参道(第6回)が一週間昼、夜のコンサートやレクチャーでショパン漬けになります。とくに注目すべきなのが,ランチタイムコンサート。ワンコインで若手の注目のピアニストです。最初は昼食時に表参道を歩いている人たちに気軽にコンサートを楽しのでもらう、と発想からはじまった企画でしたが、いまや、注目すべき若い人たちが全力投球する、とても気楽になど聴けないほど充実したものになってきました。

夜はショパン国際コンクールで入賞した関本昌平さんなどベテランのコンサートなど、これも見逃せないものです。最終日30日は今年の日本ショパン協会コンクールで一位と二位に入賞した、実川風君と阿見真依子さんの弦楽六重奏伴奏によるショパンのコンチェルとの響宴です。

私はこのところずっとショパンのピアノと管弦楽の曲、全6曲を室内楽版の編曲に取り組んできましたが,この日の一番のコンチェルトですべて仕上がりました。偶然ではありましたが,一番のコンチェルトの編曲が一番最後になったお陰で、これまでの経験をすべてここに結集する事ができました。昨日のプローベを聴いて、この編成で充実した響きが満足すべきものに仕上がった、と確信が持てました。小ホールで、フルコンサートピアノで、弦楽6重奏のコンチェルトというのは十分に聞き応えがあります。この編成だと500人位のキャパのホールまでなら使えます。一度ぜひお聴きください。


追記:コンチェルトの日は残念ながら、昼も夜も完売、ということだそうです。

日本ショパンコンクール入賞者 [日本ショパン協会]

今年で第三回となる日本ショパンコンクールの本選会が去る3月20日洗足学園音楽大学のご協力のもと、洗足学園前田ホールで6名のファイナリストの競演の結果次の通り入賞、入選者が決定した。だいぶん遅ればせながらここにご報告したい。

入賞
第一位 実川 風(東京芸術大学大学院)
第二位 阿見真衣子(東京芸術大学大学院)
第三位 加藤大樹(昭和音楽大学大学院)

入選(出演順)
中村優以(昭和音楽大学)
原嶋唯(桐朋学園大学)
上原琢矢(長崎県立鳴滝高校)

今年の審査をしての感想であるが、レベルはこれまでに比べ、驚くほど個性豊かなショパンを演奏するピアニストが多く、特に入賞者3名については優劣をつけることが難しい本選会となった。それぞれに捉え方の異なる解釈で、少なくとも本選出場者の6人のピアニストたちは技術的にはどの曲についても全員まったく問題なく弾けている。その上でショパンの音楽としてどうか、というレベルにあった。少なくとも入賞者についてみれば、ワルシャワの国際コンクールにエントリーしても十分に戦えるレベルにあることは確かなのだが、なぜか全員が(願書を出した範囲で)DVD審査のレベルで落とされているのは腑に落ちない。

一方で、このコンクールで予選落ちした人がワルシャワで残っている、という「ねじれ現象」も起きている。が、これについては審査員それぞれの見方があるから、どちらの審査が正しかったかは、今後何年間の間に自然に証明されるであろう。このコンクールは一応ワルシャワのコンクールとは切り離して開催しているため、入賞、入選者の中の何人かはほぼ同じ課題曲であるにもかかわらず、そもそもワルシャワに願書すら出していない、という人も何人かいることもまた確かなのである。客観的に見ると、これからショパンを弾いて世に出ようという若手ピアニストにとっていきなりワルシャワに参加をするばかりに意味があるわけではなく、地元である日本でまずある結果を出して自分の実力を客観的に見極め、堅実に足元から固める、という考え方も必要なのではないか。私自身も23才のときに、しかるべき段階をふんでワルシャワに臨んだのであって、自分の実力も見極めず、ただやみくもにワルシャワに行ったわけではない。たんなる漠然とした憧れだけでは物事は決して成就しないことは若いピアニストには申し上げておきたい。

第四回を開催する意味と価値があるかどうか、フタを開けるまで多少の疑念もあったけれど、今回のレベルの高さを見ると、その懸念も私としてはふっきれ、参加者の熱意に背中を押された気がする。

日本ショパンコンクール第一予選 [日本ショパン協会]

おそらく日本で一番シビアなコンクールのひとつであろう。それでも50名の参加申し込みがあり、44人が第一予選にエントリーした。全部で一時間半以上のショパン作品だけのレパートリーをクリアするだけでも大変である。第一次予選を通過したのは12名。第二次予選は19日、洗足学園音楽大学前田ホール。本選は20日同じく前田ホール。洗足学園とショパンコンクールのコラボはもう定着した感がある。

これまで大きなコンクールで優勝もしくは入賞の経験者も多く、今回はオーディションから、正式なコンクールに移行して3回目となる。第二予選と本選はかなりハードルは高いが、質の高い接戦が繰り広げられると思われる。いまの若手の優秀な日本のピアニストのショパン演奏のレベルを集中的に知るにはまたとない機会なので、関心のおありの方は是非お越し下さい。有料公開。
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コロンバンのクッキー+ショパン協会 [日本ショパン協会]


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日本ショパン協会の財政は決して豊かではない。事務局の苦労も並大抵ではないのである。少しでも財政の強化を、とこんな商法を編み出した。クッキー会社のコロンバンと提携してショパン協会のロゴ入りのケースに入ったものを発売することになった。金属製のケースに入ったもので、原価はデザイン料も含めて1000円くらいで、それにいくらマージンを乗せて売るかは自由だが常識的には1200円くらいではないか。ちょっと洒落たケースに仕上がったからまあ手土産程度にはいいかもしれない。

これはなにも日本人独自の発想ではない。もとをただせば、本国ポーランドではこの類のものがいくつもある。曰く、ショパン印の香水、ウオッカといったものでショパンはビジネスになる、という発想は私にはついていけないが、背に腹は変えられない、という苦しいところもあるのだろう。

ショパン印のクッキー、どの程度の財政効果が期待できるか未知数だが、先日の理事会で披露されたところで早速幾つかの申し込みがあったようだから今後に期待しよう。

ポーランド大統領の訪日 [日本ショパン協会]

アメリカやロシアの大統領の訪日ともなればマスコミは目の色が変わるが、ポーランドぐらいになると記事にすらならない。日本とポーランドの間にはなんらの政治的、もしくは経済的問題は存在せず、もっぱら望ましい友好関係だけだからセンセーショナルな記事にはなりにくい。大国ばかりでなく、これが韓国、北朝鮮のような深刻な政治問題を抱えた国からの大統領でもやはりトップ記事になるのは間違いない。ある意味、マスコミに乗らない関係の方が、いい国家関係にある、といえる典型であろう。

ブロニスワフ・コモロフスキ大統領夫妻を歓迎する式典がパレスホテルで昨夜行われ、私も一関係者として招待を受け、出席した。出席者の約半数はポーランド人で、日本にもこれほど多くのポーランド人が在住するのにも驚いたが、これだけでも招かれた関係者に限られるわけだから、日本に住むポーランド人の総数はいったいどのくらいになるのだろう。ショパンの国らしく、最初にアンジェイ・ヴィエルチンスキ*という若いポーランド人のショパンのリサイタルのあと、ブロニスワフ・コモロフスキ大統領の挨拶があり、ポーランドとの関係に功績のあった中曽根文弘氏、米倉弘昌氏、遠藤郁子さんに勲章を手渡された。こうしてみると、政治、経済、芸術ときちんとバランスをとって叙勲していて、どの分野もポーランドと日本との関係を重視しているポーランド側のバランス感覚がうかがわれる。

国賓としての来日ではないが、日本側からは皇族の高円宮妃殿下が出席された。式典の後、大統領の発声で乾杯の後、歓談に移ったが、大統領が少し風邪気味、と聞いていたので、私は数人の知人と会話をして適当に消えよう、と思っていた。が、どういうわけか周りからどうしても大統領に挨拶をしろ、と無理やり押し出されてしまった。突然のことで私は何を話していいかわからず困惑しきったのである。まあともかく二言、三言、何をいったか覚えていないが、握手だけはかわした。でもあとで考えてみれば、一国の大統領と握手する機会というのはそうそうあるものではないから、もっとあらかじめ、ちゃんと考えて行動すべきだった、と後悔もした。


*アンジェイ・ヴィエルチェンスキ ポーランド国内のショパンコンクールで優勝したポーランドの希望の星。日本ショパン協会主催の5月のショパンフェスティバル in 表参道のランチタイムコンサートで聞くことができます。ポーランドのいまの若手の最高水準がどのようなものかを知ることができます。当然彼は今年のショパン国際コンクールに出場しますから、ぜひお聞きください、といっても会場はせいぜいキャパが120人どまりですが。

第17回ショパン国際コンクール最新情報 [日本ショパン協会]

昨日、12時からポーランドのショパン・インスティテュートの所長が来日して、三田の駐日ポーランド大使館で関係者対象に記者会見を行ったので、私もそれに出席した。約50名程度の席は満杯で、日本人のショパンコンクールへの関心の高さが伺われた。以下はその報告の要約と私なりの感想である。なお、このような形で記者会見をするのは参加希望者最多の日本だけだそうで、今後要請があれば他の国でもやるかもしれない、とのこと。

今年は参加希望者が過去最高、世界45カ国から466名の応募があった。この中からまずDVD審査で160名に絞られる。さらに公開予備審査会でその半数、約80名が本コンクールにエントリーできる。

ただし世界の大コンクールの第二位までの入賞者は予備審査なしで一次予選にエントリーできるので、この数がどのくらいになるかは未定。日本では浜松の国際コンクールがそれに該当する。その数次第で予備審査の合格者数も多少の変動はある。第二次予選に進めるのはさらにその半数、約40名。第三次予選に進めるのはまたその半数の20名、ファイナルに残るのはその半数の10名。大変な難関となる。

審査員もかなりの数がこれまでのショパンコンクールの優勝者、というのも今回の特徴。アルヘリッチ、ユンディ・リ、ダン・タイ・ソン、オールソンなど、かなりスター的アピールも意識しているようである。日本からは海老彰子さんが参加する。審査委員長はカタジナ・ポポーヴァ・ズィドロンでラファウ・ブレハッチの先生に当たる。

こういう審査員の顔ぶれは1995年,自分もまわりも当然優勝、と信じて疑わなかったスルタノフが一位なしの二位、という結果に憤慨して「かつて予選さえ通過出来なかった審査員の審査など信用するに足りない」と暴言を吐いたのを気にした結果か? まあ暴言ではある。審査員の名前はあらかじめ公表されているから、その時点で審査員が信用出来ないと考えるならそのコンクールを受けなければいい。コンクール規定にもある。「審査の結果には意義を申し立てることは出来ない」。日本人は審査員が誰かはあまり気にしないで、やたらめったらコンクールを受けるが、ヨーロッパ人は気にする。「この審査員だと自分の演奏の傾向では受け入れられそうにないからやめとこう」。ドイツ系の参加者がショパンコンクールに滅多に顔を出さないのも多分その辺の理由による。

閑話休題。参加者の約半数がアジア系で、日本人は数の上ではトップである。つぎに中国、韓国の順となる。日本人が全参加者の20パーセントを占めるとあっては、記者会見にも熱が入ろうというものだ。
会見の後、質疑応答があり、海老彰子さんのミニコンサート、立食パーティーなどがあって、2時ごろ私はポーランド大使館を後にした。

ショパンはピアノの詩人(ではないのではない)か? [日本ショパン協会]

ピアノの詩人「ショパン」というイメージはもう日本ではいやというほど聞き慣れたキャッチコピーとなっているが、先週のショパンフェスティバルin表参道のパネルディスカッションでそれにたいする疑義が出されたのはショパンという音楽家をより正しく理解する上で大きな意味があると思っている。

私もこのピアノの詩人「ショパン」に昔からなんとはなしの違和感を抱いていたが、やはりそうは思わないことについて、この日の論議を通じてかなりの論拠が得られたと思っている。 きっかけはパネラーの一人、ポーランド文学者の関口時正先生の「ショパンをピアノの詩人などといってるのは世界でも日本と韓国くらいなもの」という発言であった。当日のパネルディスカッションのタイトルを「ショパンはなぜピアノの詩人なのか」としたのは事務方の意向を受けたもので、実際の論議は皮肉にも逆の方向に行ってしまったのだ。

「ピアノの詩人」というキャッチコピーを作り出したのは、いつ、誰であったかは定かでない。しかしそういえばヨーロッパでは一度もそんなことを聞いたこともないし、昨日パーティー席上で何人かのポーランド人に聞いても「そんな話聞いたこともない」と鳩が豆鉄砲でも食らったような表情だった。

ここから先は私の仮説であるが、「ピアノの詩人」説の源泉を探ると、もしかしたらコルトーあたりではないか、と疑っている。私の子供の頃、コルトーといえばショパンの最高権威、ということになっていた。ミツキェーヴィッチの詩とショパンのバラードを結びつけたのもコルトーなら、24の前奏曲に詩的なタイトルをつけたのもコルトーである。ショパン自身は自分の作品に何かを連想させるようなタイトルをつけるのを極端に嫌った。有名な第2ソナタの、誰が聞いてもそう思うであろうような「葬送行進曲」のタイトルでさえ、出版社の意向に賛意を示さなかったくらいである。

当時の出版社は楽譜の売れ行きをよくするため、何にでも一般受けする名前をつけたがった。メンデルスゾーンの無言歌の名前も誰がつけたか知られていないが、私は出版社の仕業ではないかとにらんでいる。ちなみに無言歌の各タイトルはコルトーの前奏曲につけたのに比べてもはるかにセンスが悪い。フランス人は一般に曲の内容を暗示するタイトルをつけるのが好きな人種のようである。

ショパンは曲の出版にあたり、なにかわかりやすいタイトルをつけるよう出版社から言われ、閉口していたことが度々あった。我々ももういい加減「ピアノの詩人ショパン」(多分日本発)に加えてもう一つ「ポーランド民族の英雄ショパン」(ポーランド発)という二つの先入観を取りさってじかにショパンの音楽に向き合う必要があると思う。「別れの曲」「雨だれの前奏曲」「革命」「軍隊ポロネーズ」「英雄ポロネーズ」「木枯らし」「子犬のワルツ」すべて荒唐無稽、といってよかろう。同じ時代の詩人ハインリッヒ・ハイネがすでに喝破したように、ショパンはポーランド人でもフランス人でもなく、モーツアルトやラファエロと同じ世界の住人なのである。

ショパンフェスティバルin表参道2014最終日 [日本ショパン協会]

ショパン生誕200年を記念して発足した「ショパンフェスティバル・in表参道も今回で5回目となる。今週月曜日から毎日、ランチタイムコンサート、夜のコンサートやパネルディスカッションなど、私は全部顔を出しているわけではないが、何回か様子を見る限り、年を追って充実している感じが伝わる。とくに「ランチタイムーー」が当初、表参道の通りがかりの人にもワンコインの入場料で気楽に聴いてもらえる肩の凝らないショパン、と考えて発足したが、この場で若手の演奏家で有能な人が次々育っているのを見るのは嬉しいことである。

少子化、ピアノ人口減少を実感している私としては、一方でピアノ人口が減っているのに反比例して、才能のある人は増えていることもこのランチタイムコンサートを通じて力強く感じる。これはヨーロッパなどピアノ先進諸国にも言えることで、一時のブームのようなピアノを誰も彼も習う、ということの方がむしろ異常で、ピアノをやる人が減っても才能のある子が出てきたら、それをきちんとサポートして伸ばすことができる教育体制や、社会の理解や経済支援など、まだ万全とは言えないにしろそれなりに充実してきたことも原因している。留学などしなくても国産教育だけで国際コンクールに入賞するケースもいまや珍しくない。

それやこれやでこのフェスティバルはベテランの出演ももちろんだが、新人の発掘、育成にも一定の役割を果たすことができるようになったことは、当初予想もしていなかった結果で、今後はこれも大きな柱として育てて行きたい。

今日はその最終日。ポーランド大使、大使館の書記官などの出席もあり、ホールのキャパシティが100人程度なのに、全12回の公演の入場率が平均102%と事務局長から報告があった。
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