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ショパンはピアノの詩人(ではないのではない)か? [日本ショパン協会]

ピアノの詩人「ショパン」というイメージはもう日本ではいやというほど聞き慣れたキャッチコピーとなっているが、先週のショパンフェスティバルin表参道のパネルディスカッションでそれにたいする疑義が出されたのはショパンという音楽家をより正しく理解する上で大きな意味があると思っている。

私もこのピアノの詩人「ショパン」に昔からなんとはなしの違和感を抱いていたが、やはりそうは思わないことについて、この日の論議を通じてかなりの論拠が得られたと思っている。 きっかけはパネラーの一人、ポーランド文学者の関口時正先生の「ショパンをピアノの詩人などといってるのは世界でも日本と韓国くらいなもの」という発言であった。当日のパネルディスカッションのタイトルを「ショパンはなぜピアノの詩人なのか」としたのは事務方の意向を受けたもので、実際の論議は皮肉にも逆の方向に行ってしまったのだ。

「ピアノの詩人」というキャッチコピーを作り出したのは、いつ、誰であったかは定かでない。しかしそういえばヨーロッパでは一度もそんなことを聞いたこともないし、昨日パーティー席上で何人かのポーランド人に聞いても「そんな話聞いたこともない」と鳩が豆鉄砲でも食らったような表情だった。

ここから先は私の仮説であるが、「ピアノの詩人」説の源泉を探ると、もしかしたらコルトーあたりではないか、と疑っている。私の子供の頃、コルトーといえばショパンの最高権威、ということになっていた。ミツキェーヴィッチの詩とショパンのバラードを結びつけたのもコルトーなら、24の前奏曲に詩的なタイトルをつけたのもコルトーである。ショパン自身は自分の作品に何かを連想させるようなタイトルをつけるのを極端に嫌った。有名な第2ソナタの、誰が聞いてもそう思うであろうような「葬送行進曲」のタイトルでさえ、出版社の意向に賛意を示さなかったくらいである。

当時の出版社は楽譜の売れ行きをよくするため、何にでも一般受けする名前をつけたがった。メンデルスゾーンの無言歌の名前も誰がつけたか知られていないが、私は出版社の仕業ではないかとにらんでいる。ちなみに無言歌の各タイトルはコルトーの前奏曲につけたのに比べてもはるかにセンスが悪い。フランス人は一般に曲の内容を暗示するタイトルをつけるのが好きな人種のようである。

ショパンは曲の出版にあたり、なにかわかりやすいタイトルをつけるよう出版社から言われ、閉口していたことが度々あった。我々ももういい加減「ピアノの詩人ショパン」(多分日本発)に加えてもう一つ「ポーランド民族の英雄ショパン」(ポーランド発)という二つの先入観を取りさってじかにショパンの音楽に向き合う必要があると思う。「別れの曲」「雨だれの前奏曲」「革命」「軍隊ポロネーズ」「英雄ポロネーズ」「木枯らし」「子犬のワルツ」すべて荒唐無稽、といってよかろう。同じ時代の詩人ハインリッヒ・ハイネがすでに喝破したように、ショパンはポーランド人でもフランス人でもなく、モーツアルトやラファエロと同じ世界の住人なのである。
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ake_i

行きたかったです。拝聴したかったです。
タイトルの件に関しても凄くお話に興味ありました。
またお知らせください。ほんと、今またいろいろ知りたくて・・・知らずのうちに原点に戻ってます(笑)がピアノの詩人は日本初だったってことですかね???それも不思議だとは思いませんよ♪

by ake_i (2014-06-09 23:17) 

klaviermusik-koba

パネルディスカッションなどというものは始まってみないと面白くなるか、つまらなくなるかはわからないので、カケのようなものです。(コンサートもそういう意味では同じですが)でも今回はこんな結果になるとは私も予想しませんでした。聞いてる人から反論でも出てくればもっと面白くなったでしょうが。。。。
by klaviermusik-koba (2014-06-10 13:33) 

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