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1944年(昭和19年)の時刻表 [鉄道全般]

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 昭和19年1月改正の時刻表。発行は財団法人東亜交通公社、とある。私が小学校(国民学校)2,3年のころのものであろう。終戦になる1年半前、いよいよ物資は逼迫し、鉄道状況最悪期の記録として、なかなか興味深い。ページ数はわずか224ページ、広告類はすべて姿を消している。裏表紙には「旅行防空心得」というものが記載されており、例えば、「灯火管制を厳重に守られたい」「列車進行中、空襲の危険のあるときは、長緩汽笛を鳴らして徐行することがある。その時は・・・通路よりで低姿勢をとられたい」云々。緊迫感が伝わる。急行列車類はほとんど姿を消し、東海道線の急行は九州行き5本、東北本線は1本(当分の間運転休止)、北海道は函館ー稚内間1本、優等列車はそれですべてである。もちろん特急「燕」などはとっくにない。

 「最悪期」と先にかいたがそれでもまだ朝鮮、台湾、満州、華北などの時刻表も申しわけ程度ではあるが掲載されていて、日本が意地でもこれらの領土を死守する、という雰囲気が伝わる。だが鉄道にとっての本当の最悪期は戦後であろう。私のところにはその記録がないが、私の記憶では、列車の一斉スピードダウン、という処置がとられた。どんなに列車が遅くなっても、一定の最低限の輸送量は確保する、ということであったらしい。もともと遅かった列車が2/3くらいの平均速度に落とされた。有蓋貨車、手荷物車が旅客用に当てられるのはざらだった。

 昨今世の中ひどくなってきたとはいえ、こういうものを見る限り、まだまだ日本も天国、とはいえる。でも、またこんな時代が来ないとは誰が保証できよう。どんな名目であれ、戦争だけはいやだ。
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