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アルフレッド・コルトー(1) [ピアノ音楽]

ピアノに関係した人で、アルフレッド・コルトーの名前を知らないものはないほど、ショパンと云えばこのピアニストが象徴的に語られる。昭和27年に来日していて、5つのプログラムでコンサートを行なった。私は当時高校2年生。コルトーの実演を聞いた、というだけで羨ましがられる。

昨日、Tさんという国立文化財機構理事の来訪があった。今年はコルトーの没後50周年にあたる。コルトーという人は途方もないスケールの音楽家であったが、いまでは日本ではもう知らない若い人も多い。コルトーという歴史的なピアニストを記念して立てられたホールが山口県にあるので、コルトーにちなんだイベントをやる計画があり、日本ショパン協会として、協力してもらえまいか、というのが来訪の趣旨である。

もう一つ、コルトーが下関公演の際宿泊していた、宿から見える無人島の小島、正式には厚島というのだそうだが、これがとても気に入り、「私は世界を旅したが、こんな素晴らしい景観はみたことがない、この島を買い取り、晩年はここで生涯を終えたい」とまでいったそうだが、土地の人は「外国人の単なる社交辞令」くらいにしか思わなかったが、だんだん本気であることがわかってきて、当時の町長さんが、それではこの島を差し上げます、と申し出た。コルトーはとても喜び、そのつもりでいたが、その後コルトーは病気で再び日本の土地を踏むことはなかった。が、コルトーはフランスに帰ってからもそもことをとても誇りに思っていたようである。その島は「孤榴島」と名付けられ、コルトーのサインの入った記念碑も立てられて今でもコルトーの象徴的存在であり続けている。(続く)


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Bravo_Daniil!

こんにちは。おひさしぶりです。
拝読していて、私の母校である、東京の女子学院中学・高校の音楽室で、コルトーが弾いたという茶色のグランド・ピアノが使われていたことを思い出しました。昭和27年の来日の際に、演奏会場のひとつとなったこの学校の講堂から移されてきたのでしょう。在学中、あのピアノをたびたび弾いたことは、いうなればコルトーと私のささやかな直接的な接点でした。卒業してかなりの年月が経ち、あのピアノはどうなったのか、ちょっと気になっています。
by Bravo_Daniil! (2012-05-14 03:26) 

klaviermusik-koba

Bravo_Daniil様

ご無沙汰しました。戦後の混乱期、当時のコルトー来日の由来はよくわからなかったのです。昭和27年の日本はコンサートホールはおろか、まともなコンサートピアノさえ、ほとんどなかった時代、よく来日が実現したと思っていたのですが、コルトーは当時ヨーロッパの政治的な事情に巻き込まれて、フランスでは演奏活動が非常に制限されていたこともあって、日本での公演と、日本人のホスピタリティをとくに喜んだそうです。

by klaviermusik-koba (2012-05-14 09:44) 

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