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ル・ミストラル(2) [古い旅のアルバム]

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パリの写真はおしまいにするつもりでいたが、akiraさんから、当時のル・ミストラルはCIWLではなかったか、という指摘があったので気になって、もう1枚の写真をとりだしてみた。これは駅の出発時刻案内だが、ミストラルの最後尾が写っている。これでみるかぎり、うしろに2,3両は普通のステンレス製の1等車で、それもだいぶんくたびれている。その先にCIWLの客車も連結されていたのかも知れないけれど、今となっては確認が出来ない。

それよりも、普通のExpressの「シュド(南、と言うほどの意味だが」)スペイン国境の町であるイルン行のステンレス車の方がミストラルより輝いて見えた。下の写真、CC7115の機関車がこれを牽引することになるので、ついでに掲載してみた。当時のパリーリヨン駅頭の雰囲気も伝わってくると思う。

ちょっと気になるのは、手前の一等車の窓上の赤帯で(拡大してみてください)通常一等車の帯はフランスでもドイツ同様黄色であったのだが、のちにル・ミストラルはこの暗赤色の帯のうえに TRANS EUROP EXPRESSの文字が書かれることになる。それと何か関係があるのかどうかは分からない。
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コメント 2

Akira

kobaさん、おはようございます。

またまた素晴らしい当時の画像をありがとうございます。パリ・リヨン駅?の出発風景など当時の優雅な雰囲気が伝わってきます。

言葉足らずで申し訳ありません。この時代のLe Mistralは、基本的にステンレスのMistral '56形客車ですが、機関車の次位に荷物車+CIWLプルマン+CIWL食堂車の3両が連結していたはずと思い記しました。あと丁度中央当たりにもCIWL食堂車が連結されていたようです。(これは、ニース行きとリヨン止りに分割する際、食堂車以降の車両がリヨンで切り離されたようです)

確かに画像の客車はMistral '56で赤帯ですね。当時は既に電車や気動車などでTEEが(TEE色の帯なし1等車で)走っていました。Le MistralはRapidでしたが、格はTEEと同等かそれ以上だったような気がします。そこで、敢えて将来のTEE化を見越して(またはTEEを意識して)赤帯にしたのかも知れませんね。

昔日本の鉄道雑誌で、グリーン車の緑帯はフランスでは2等車だと記していたのを思い出しましたが、赤帯に至っては日本では3等車です。色に関しては日欧のイメージが違うのでしょうが、無機質なステンレス地に赤帯は秀逸です。
by Akira (2013-06-18 11:04) 

klaviermusik-koba

いろいろ情報ありがとうございます。いただいた情報や画像を総合して考えてみると、リヨンまでは多分高級ビジネスマンがビジネスに利用するので、そこまでは普通の一等車主体、そこから先、アヴィニョンやニースへは観光客という住み分けを図るため、ニース行きの観光客用にCIWLのような特別の客車を提供したのでしょう。蒸気機関車の区間にも連結されている、ということがその辺の事情を物語ってくれるように思います。面白いですね。
by klaviermusik-koba (2013-06-18 12:35) 

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