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恒例の四日市 [模型鉄道]

正確には覚えていないが毎年12月28・29の泊村コンサート、20回はとうに超えているはずである。多少の小雪がちらついたのもこの時期の四日市らしい風物詩。

とまりむらは奈良希愛さんに同行してもらってシューマンの作品のコンサート。連弾とメロドラマ、バラードを奈良さんのドイツ語の語りとピアノの伴奏がつく、という珍しい趣向。でもこの40人くらいの集まりはこういうものも受け入れられる。ドイツ語のバラードは一般には理解がむつかしいと思われたので、私が詩の内容を要約してあらかじめ紹介した。が、聴衆のうち何人か明らかにドイツ語の詩を理解し、一緒にこの珍しい作品を楽しんでいただけたようである。この会も、すでに教養の高い方々のハイソサエティになっていることを実感した次第。ついでにいえば、私の中学校の国語の先生も恒例毎回出席してくださっている。何と言っても国語の先生であるから話すにも、文章を書くにもいまだにプレッシャーとなる。

プログラムに先立ち、何度もここで一緒にクラリネットを演奏してくださった故浜中浩一さんをしのんで、マックス・レーガー編曲の連弾用、バッハの通称「G線上のアリア」を献奏。これまた珍しい編曲、といえよう。

翌日のYRFCが盛況であったのは望外のよろこびであった。Kさんを中心に、Y,S,S,T,Nさん夫妻、私たち夫婦、計9名。富士山の写真、鉄道の話、南相木の話、ウエールズやカナダの話、昼食をはさんできりがない。もちろんKさんのNゲージ、BEMOも楽しむ。Nさん、多少認知症気味、と聞かされていたが、活発な奥さんのサポートもあって濃密な時間を過ごすことができ、元気であれば再会を約して、20時に東京帰宅。

このYRFCの会合、最初は近くの蕎麦屋で一緒に飯を食う、くらいの簡単な集まりだったが、だんだん高度化し、今日は四日市のさる名士の旧邸を改築したレストランでの豪華昼食会。戦後まだ金も物もない時代の中学生の頃「鉄」仲間として知り合って以来、同じスタートラインから人生を歩みはじめ、60年以上も毎年一回は必ず集まる、というのは、この年齢となった私にとって唯一といっていい貴重な友人サークルとなっている。ただ、考えてみるに、何かやるにしても 共通の話題で盛り上がるには、みなそれ相応の人生経験があり、世界をあちこち旅行し、学歴も関係なく、各界でそれなりの成功を収めて、引退してもそこそこの経済力もある、という、共通項があるために成り立っているかなり幸運なケースかもしれない。

当日集まった全員で10月に85歳で逝去されたジュニア模型店主、元国鉄マン、そしてYRFCの最長老であった伊藤礼太郎さんの御宅を訪問、仏前にお参りもして、奥さんともこもごも思い出話を交わしたこともここに記録しておく。
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