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ある画家の一生 [プライベート]

当ブログでも一度書いたことがあるが、高校の体育の先生と喧嘩をして私と一緒に学校を退学した画家の森秀雄君(もう故人になったから実名でもよかろう)の奥さんから訃報が届いたのは年明け早々だった。当然元気でいるはず、と思って私が出した年賀状の返答がこの訃報である。

私はショックを受け、すぐに手紙を書いた。奥さんから返信が届き、昨年の九月にガンと診断されて入院して「わずか二日で」容体が急変して亡くなった、とある。がんは長く拷問のように苦しんで死ぬもの、と思っていたがこれだとほとんど突然死に近い。こういう死に方ならがんで死ぬのも悪くない、と思った。おそらく彼のことだから、ふだんから検診を怠らず病気の早期発見につとめる、などということは全く念頭になかったに違いない。その様子は奥さんの手紙から伺える。

以下は奥さんの手紙による彼の画家としての生きざまである。私と一緒に体育の先生と喧嘩をして高校をおん出た、というのはしばしば夫から聞かされていたので、「あまり普段会わないけれど、あなたのことは意識していたようでした」とある。ここで私が書いておきたいのはそのことではない。森君の絵がどう素晴らしく、世間でどう評価されていたのかは私にもよくはわからない。ただ、彼のユニークさは自分も人間だからいずれ死ぬ、しかも自分も後期高齢者だから先は長くない、ということが全く頭の片隅にもなかったらしいことだ。これから先の仕事の計画、段取り、そして夢がいっぱいあり、直前まで「僕の人生はこれからはじまる」と常々奥さんには語り、先の計画と絵を描く楽しみしかアタマになかったようである。こんな素敵な生活、みごとな人生観がまたとあろうか、と物事をとかく悲観的に見がちな私には青天の霹靂に映った。目から鱗が落ちる、とはこのことをいうのであろう。

「まだまだやりたいことがあったのに可哀想、という思いと同時に、幸せな将来への思いの中で死ねたのだからこれは彼にとっていい人生であったと考えることにしている」という言葉で結ばれていたが、私も同感である。いい友人を持てたことに感謝。合掌。
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