五木の子守唄と第五交響曲 [音楽全般]
ちょっと必要があって、「五木の子守唄」にピアノ伴奏を付けた。こんな名曲は私がやらずともたくさん楽譜は出ているはずだが、おそらくはどれも自分の気に入らないであろうから、自分独自の和声法に、前奏と後奏をつけてみた。この曲は歌詞が5番まであるので、それぞれの歌詞のニュアンスを生かし微妙に一番ごとにわずかにピアノパートを違えてある。歌う歌手の歌い回しによってピアニストがその場の雰囲気でいずれかを選べるようにもなっている。たった八小節しかないこの素朴な歌は編曲者のセンスが最大限試される。
こういう場合つねに最良のお手本になるのは、ブラームスの素朴なドイツ民謡につけたピアノ伴奏であろう。民謡の素朴さを生かすため和声も音形も最小限にとどめ、しかも出来上がったものは芸術作品としてみても最高度の価値を有する。ケバい伴奏はせっかくの歌を台無しにするから、ブラームスも最小限の音しか使っていない。歌を絵、伴奏部を額縁に例えるなら、額縁だけがやけに立派すぎてもやはり絵は損なわれる。
やっている間に妙なことに気づいた。五木の子守唄とベートーヴェンの第5交響曲の第二楽章のAs-dur(より正しくはC-dur)の副主題とが音列的に全く同一なのだ。かたや短調、もう一方は長調、という違いはある。もとよりこれは全く偶然の一致である。このような音列の並びは何もこの二つの曲に限らず、少し考えるとほかにもたくさん名曲が存在することがわかる。黄金の音列、とでも言おうか。
こういう場合つねに最良のお手本になるのは、ブラームスの素朴なドイツ民謡につけたピアノ伴奏であろう。民謡の素朴さを生かすため和声も音形も最小限にとどめ、しかも出来上がったものは芸術作品としてみても最高度の価値を有する。ケバい伴奏はせっかくの歌を台無しにするから、ブラームスも最小限の音しか使っていない。歌を絵、伴奏部を額縁に例えるなら、額縁だけがやけに立派すぎてもやはり絵は損なわれる。
やっている間に妙なことに気づいた。五木の子守唄とベートーヴェンの第5交響曲の第二楽章のAs-dur(より正しくはC-dur)の副主題とが音列的に全く同一なのだ。かたや短調、もう一方は長調、という違いはある。もとよりこれは全く偶然の一致である。このような音列の並びは何もこの二つの曲に限らず、少し考えるとほかにもたくさん名曲が存在することがわかる。黄金の音列、とでも言おうか。
2014-12-07 09:22
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