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さくら横ちょう [プライベート]

私は新聞や雑誌の「悩み事相談」欄を読むのが割に好きである。いろいろな人生があるなあ、と目の覚める思いがすることも時にある。中には深刻なのもあるが、大体は男女間のたわいもない悩み事が多い。

たとえば60歳台の男性からの投稿。昔から好きだった女性がいたが、打ち明けられずにいた。偶然だが仕事上で会うことになった、さてどうしよう、という相談。

「アホか」と私などは思う。いい年して人に相談を持ちかけてどうしようというのか、そんなこと人に相談をするほどのこともなく自分が決めることだ。男であれば、むかし好意を抱いていた女性と何の接点も持たないまま、老年になっても忘れられない、という経験は誰にもあろう。この投稿者もやはりロマンチストに違いない。でもそれはそれで、のちに会う機会があってもそっとしておけばいいのだ。男は女より基本的に生涯ロマンチストなのである。女は年を取るにつれ、より現実主義的傾向を帯びる。芸術の分野で優れた仕事を残しているのが圧倒的に男性が多いのは、その何よりの証拠といえる。

実にさいわいにして、といっていいのであろうが、私もこの年になっても、時折、むかしから知っている女性から「お茶しましょう」「ランチでも」と誘われることもなくもない。もし私が独身であれば、この年齢になれば若い時のように素直にはなれず、警戒心が働くであろう。「このジジイに近づく、というのは何かいかがわしい下心があるのではないか」。「後妻業」というのもある、と聞く。毒物を食わせて何人も男性を殺害し、保険金やら遺産を何億もとられる、という事件もあった。油断も隙もあったものではない。私の場合、いまは妻の存在が最強の防波堤になるので、会って一緒に飯くらい食ってもどうということもない。だいたい私宛のメールは全て妻のiPadへ筒抜けになっているから秘密は存在しない。一つくらい秘密があっても、と不埒な考えがないでもないが。

一人や二人、昔からの知り合いの気になる女性がいて、どうやら相手も全くそういう気がなくもないことも言動でそれとなく察知はできるが、あえてお互い気持ちを確かめることなく、だまって地獄まで胸に抱いて持っていく、というのは最大の男のロマンだと思うがいかがか。老境になってからどっちに決着がついたとしても、もうそれではミもフタもなく、その時点で男のロマンはあえなくアワとなって消えてしまうからだ。泡となって消えるだけならまだしも、悲惨な末路が待っているかもしれない。


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会いみるときはなかろう
「その後どう」「しばらくねえ」と
云ったってはぢまらないと
心得て花でも見よう
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら 横ちょう
(加藤周一詩 「さくら横ちょう」 より)




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