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「夏が来れば思い出す」一枚の絵 [プライベート]

安全保障関連の法案が強行されようとしている。もとより、私もこれには強く危惧している一人である。第二次大戦末期、住んでいた四日市市も危険だ、ということになって、我が家は祖父が所有していた隣村の家に疎開をした。その3ヶ月後である。海軍燃料廠のあった四日市は大空襲に会い、住みなれた家は直撃弾を受けて跡形もなくなっていたから、逃げるのが少し遅れていたらいまの私はない。

逃げる場所があった、ということも幸いしたが、決定的なのは父の決断であった。疎開をする、と決めると様々な世間の有言、無言の圧力があったようである。「このお国の大事な時に逃げるのは卑怯者だ、国賊だ」というわけである。それでも父は頑固なところがあって世間の言うことには耳を貸さなかった。

その3ヶ月後、四日市の大空襲で家を焼け出され、当て所もなく徒歩で逃げてゆく大勢の人たちの行列を家の前を通り過ぎるのを目の当たりに見ながら、母は3人の幼い子供達をかき抱いて号泣したのを強烈に記憶している。戦争となれば、真っ先にひどい目に会うのは一般国民であって、号令を下している方ではない。以来、なんであれ、人から命令され、号令を下されることに極端に反感を覚えるようになった私の性格はその時形成されたものと思われる。

あれだけ強硬に決行しようとした国立競技場問題も民意の強硬な反対にあって流石の安倍政権も見直さざるを得なくなった。安全保証関連法案も強行すればどうなるか、ということを政府与党も考えざるを得まい。政府は国民を守る義務がある、と二言目には安倍さんは言うが、いざ戦争になれば国は国民を守ってくれると思うのは幻想にすぎないことは肝に命じる必要がある。何があってに絶対に戦争はすべきでない。このことを子供心なりに実感した最後の世代が私たちで、それも時とともに忘れられようとしている。

見逃してはいけないのは戦争のために軍備を増強すると得をするのは誰か、という観点がいまの議論にかけている。最大の恩恵を受けるのは軍需に関係する産業であろうが、これらの産業はいまはもちろん黙っているけれど、法案に表立っては賛成しないものの、少なくとも国民一般の反対を押し切っても強行する安倍さんの後押しをする隠れ圧力団体にはなっていよう、というのが私の見方である。

この一枚の絵は疎開していた村の親友であった画家のS君が私のために、ずっと後になって当時の記憶を頼りに書いてくれた疎開先の家である。細かいところの差異はあろうが、だいたい私のイメージとも一致している。
image-20150719090247.png

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