アウシュヴィッツ [プライベート]
ポーランドにあるアウシュヴィッツ、という標記にポーランド政府がいちゃもんをつけた。まるであの大虐殺をまるでポーランド人がやったかのようなイメージを与える、というのがその理由。
もちろん正しくはナチスドイツがやったことなのだが、時代とともにそういう事実さえ、曖昧になっていくのがこわい。
去年はじめてアウシュヴィッツ(オシヴェンチム)を訪れた。それまでにも、ダッハウなど強制収容施設はいくつかみてはいるのだが、あらためて衝撃を受けた。ドイツ人がこのことを話題にしたがらないのは承知の上で、ドイツ人ともこの問題について話し合ったことも何度かある。しかし戦時中の日本を知る私の世代としてどうしても云っておきたいことはある。あの体制のなかで一人の国民が生きていくのに、ふつうの良心をもっていたら、あの時代は生きてはいけなかった。そうは云うものの、ヒットラー体制を熱烈に支持したのもこれまたふつうのドイツ人なのだ。収容所をみながら、私はあの虐殺に心ならずもかかわらされたごくふつうのドイツ人、それにポーランド人たちに思いをはせた。
収容所を見学しながら思ったことは、もし自分がその立場におかれたら、自分の保身もふくめてああいう虐殺にかかわらないですんだだろうか、とたえず自問自答した。そして収容所をあとにしたときには、いや、自分も必ずそれに荷担したに違いない、という確信を持つに至った。これまで、キリスト教のいう原罪、もしくは親鸞の説く、じぶんは生まれながらにして極悪の罪深い罪人だ、という認識はかなり自虐的なもの、と考えていたのが根底からひっくりかえった。たまたまこれまで自分は罪を犯さないですむような幸運に恵まれただけなのだ。
車で運転をしてくれたポーランド人女性に「どういう感想を持ちましたか?」ときかれたので、
「まったく戦慄すべき事だが、これからも、人類が存在する限り、いつ、どこで、とは言えないが必ず似たようなことはおこるだろうし、現在も世界のどこかでおこっているかも知れない」とだけ答えた。
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