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仏教と宗教音楽 [音楽全般]

 この話を簡単にまとめることは出来ない。仏教にとっても、音楽家にとっても見過ごすことのできない深刻な問題だからだ。西洋音楽は教会、特にプロテスタントを中心に発展してきた。仏教は儀式の中に音楽とよべるものがなかったわけではないが、西洋音楽のように、音楽が独自の発展をとげることはなかった。

 仏教系の音楽大学、相愛音楽大学、名古屋音楽大学、札幌大谷大学などが、この問題でごたごたがこれまで起きていないことが私には不思議でしょうがない。起きて当たり前なのだ。私はこの大学に学部長として就任するとき、まず気になったことは、仏教の精神をいただく大学でバッハやモーツァルトのミサ曲を演奏するのがなぜ、仏教系大学の「建学の精神」と矛盾しないのか、の1点であった。待遇の問題、勤務形態、など実務の問題は私にとって2の次だったのだ。

学部長就任にあたって、理事長、前学長に、この点をくれぐれも念を押した。「西洋音楽をやるからには、私はバッハの教会カンタータやミサ曲やマタイ受難曲もやります。これが仏教の精神と矛盾するからいけない、というのであれば、この仕事はお引き受けできません」。それについては経営者側からは「そのことについては全く問題はない」という言質を得ている。

 そもそも、西洋音楽はキリスト教を母胎とした巨大なモンスターだ、ということを、多分仏教側も、音楽家の側も、あまり深くは認識せず、ピアノが盛んだったときは、経営上いいか悪いか、ということだけで、思想上の矛盾点についてほとんど考えてこなかったからではないか。でも私にとってはさけて通れない重大な問題なのである。

八百よろずの神々、ということで日本人は昔からさまざまな宗教を容認してきたおかげで、宗教戦争や内戦は起きなかった。政治的な理由から一部の宗教団体にたいする弾圧はあったが、その規模と深刻さは西洋の宗教史の比ではない。これは日本の賞賛すべき特質としてもっと世界から認められていいと思う。このいい加減さが西洋人には我慢ならないのではあろうが。

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