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仏教と宗教音楽(2) [音楽全般]

 キリストの福音をのべつたえるために音楽の果たした役割は大きい。このことは仏教界でも日本でも比較的早くから気づかれていて、日本では多くの作曲家が、キリスト教の賛美歌に相当するものを作曲してきた。しかし残念ながらこれらは仏門の外にでることはなかった。いままでのところこれといった成果はあげていない。

 一方西洋音楽ではマルティン・ルターからバッハに到るまでの200年だけの歴史をみても、一度作られた歌がそのままかわらずに伝わっていることは少ない。もともとルターは民衆の中で唄われていたものであろうと、音楽家が作曲したものであろうと、いいものは何でも取り入れた。そして、メロディーはバッハに到るまで、さまざまな才能豊かな作曲家の手を経て、より洗練されたものに作り替えられてきたという歴史がある。 現在傑作とされるコラールも当初は、民謡風な洗練されないものであったのが、多くの人の手を経てきて、最後にバッハという途方もない大天才の手によって、キリスト教徒も、そうでないものも超えた万人の心を打つ最高峰の音楽にまで昇華した。

 札幌大谷大学でも、いろいろな機会で、仏教賛歌が歌われているが、どうも正直なところ、みんながしぶしぶ、とまではいわないにしても、心から感動して歌っている、というところがさっぱり見えないのだ。一昨年定期演奏会で、学生が本当に心から感動して歌ったバッハのコラールと比べると何という違いなのだろう。これは、実は仏教賛歌の曲集は質的に玉石混淆で、音楽的に見て素晴らしいものもあるが一方駄作としかいえないものもある。これも、一度委嘱した作品ができたままほったらかしになっていて、曲集が最高の知性を持つ音楽家の興味を惹くものにまでなっていない。仏教界に布教に音楽の力を取り入れる、ということを本気で考えるなら、これからまず手をつけるべきであろう。

 一例をあげるなら「真宗宗歌」。私が子供の頃から和声学の教科書でなじんできた島崎赤太郎の作曲になるもの。メロディーはいいのだが和声と対位法がどうもイマイチなのだ。だから音楽に素養のある人が真剣に立ち向かえる質のものに仕上がっていない。私はこれに少し手を入れてみた。これが最高,というつもりはさらさらないが、少なくとも原曲よりはマシでメンデルスゾーン風の和声と対位法には仕上がった。いずれブログのpdfにのせます。ナニ、俺ならこれよりもっとマシにしてみせる、という人があればそれももちろん大歓迎。

 一方、音楽的に素晴らしい内容を持つものは、信時潔作曲の「みほとけは」。この曲集の中では最高の傑作の一つで異彩を放っている。この曲集がせめてこのレベルにあるならば音楽家の見る目も違ってくるのだろうが、全体的にみればまだ小学校の校歌の域を出ていない。???#25484C.jpg
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コメント 2

K.

先生、先日はお忙しい中お手紙をありがとうございました!!
とっても嬉しくて、額縁にいれてレッスン室に飾ろうかと
まじめに考えているところです。

(大学のレッスン室に置いても、とてもいい感じですし)

いよいよ新年度ですね。
今年はどうなることやら、ある種Max.です。

でも、路線に詳しくなってます、駅名もだんだん覚えるかな?

電車から見える風景がとても楽しみです。
桜が咲いている風景を見ると、今はとてもいい気分になります。


by K. (2009-04-03 01:03) 

klaviermusik-koba

入学式には出席できないので、これは当日のピアノ伴奏助手にこっそり渡してあります。多分誰も伴奏がかわったことに気がつかないのでは? と思っています。それでいいのです。

私は和声進行の悪い音楽は我慢がならない。

今日は成城学園のそばの仙川の桜が満開ですばらしい。写真はみんなが撮っているから、私が下手な写真を撮ることもなかろうとおもい、見るだけにしました。

私の方も今年はどうなることやら、です。まあお互い頑張りましょう。


by klaviermusik-koba (2009-04-03 19:33) 

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