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人はいかにしてボケるか [健康]

 人ごとではないのだが、誰しも年をとってからボケるのだけはいやだと思う。といって特効薬があるわけではない。先日もTVでどうしたらボケないか、という特集をやっていた。定年になってもうちにこもらないで毎日歩く、人と会って話をする、電車に乗ってどこへでも行く、本を音読する、日記をつけるなどなど・・・。誰でも当たり前だと思うことばかりである。でもどうやってみてもボケるときにはボケるらしい。

 知的で創造的な仕事をしていればボケない、というのもウソのようで、たとえばラヴェルも今流に言えば若年性認知症、ということになるのではないか。あのすばらしい音楽を書いた人が、あるとき自分の名前すら書けなくなってしまったのだ。いわれているように、ラヴェルは交通事故のせいばかりではなく、その前から兆候はあったようで、勘ぐればそれが交通事故のきっかけになったとも解釈できる。

 いまのところ、私はさすがに新しい曲の暗譜はだいぶんあぶなくなってきたが、それでも講演は原稿なしでしゃべるし(しゃべりすぎるし)新しいものに対する興味も失せていない。人の揚げ足をとるのも早い。ただ、よく知っているはずの固有名詞が急に思い出せないことが多くなった。これはボケの兆候、といえなくもないが、当面生活に差し支えているわけではない。というか、あまりおしゃべりだと単語を思い出すのに時間が足りなくてかえってボケるのではないか、とすら危惧している。

 人の健康法もさまざま。私のある知人はもう80才を超えているが、彼の健康法はユニークである。年をとったらなるべくよけいなエネルギーを使わず、家でじっとしている。人付き合いもしない。金もなるべく使わない(彼は金がないわけではない)。これでは誰が見てもボケて当然、と思えるような生き方だが、どうして、会ってみればしごく元気なのである。

結局、ボケたらあとはよろしくね、と言い残しておくくらいしか手はないようである。
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2/15はとても勉強になりました

洗足学園音楽大学での講座「リスト ロ短調ソナタ」はとても勉強になりました。お礼が遅れましたことをお詫び申し上げます。
「第3主題」の概念が私には思い浮かばず、Prestissimo の後で「第1楽章の第1主題と第2主題」と「緩徐楽章冒頭主題」を回想している、と2/14まで感じておりました。
小林先生と伊藤先生の対談は、ハイドンからR.シュトラウスまで足掛け3世紀の音楽がポンポン飛び交い、面白い上に為になりました。いきなり「ロ短調ソナタの原案」について、学生の方との対話が出たり、とても高水準で音楽に取り組んでいるのが、小林先生だけでなく、大学全体のように感じられました。魚谷さんの演奏は、バス声部が弾んだり歌ったりしながら音楽を作っていることを「音」で実感させて頂き、本当に素晴らしかったです。
小林先生がボケるとは思えません。次回の講演を楽しみにしながら、先生のご健康がいつまでも良いことをお祈りしております。
素晴らしい講座を本当にありがとうございました。
by 2/15はとても勉強になりました (2010-02-17 20:33) 

klaviermusik-koba

悪天候の中、大変だったと思います。ありがとうございました。
おっしゃるように、Prestissimoのあとで全部の主題が回想される、という見方も、わたしも一つの選択肢として持ってはおります。実際一度はそういう風に組み立ててみましたが、直感的にやはりどこか不自然ではないか、と考えた結果あのようになったのです。

魚谷さんの演奏は若い女性としてはめずらしい柄の大きい演奏だとおもいます。私も彼女の成長は楽しみにしているので、一度ご紹介したかったこともあります。

年2回の講座ももうそろそろネタぎれか、と思いつつ、またこの次も何か考えたいと思いますのでよろしくご支援のほどお願いいたします。
by klaviermusik-koba (2010-02-18 09:28) 

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