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晩年のショパンの様式 [ショパン]

 K先生から来年のピアノ教育連盟のテーマである「ショパン」の研究大会で「バッハとショパン」という内容で講演を、という依頼があった。

 これまで私はいろいろなところで晩年のショパンの様式は対位法を抜きにしては語れない、和声と対位法が理想的に融合した形としての音楽のあり方が晩年のショパンだ、ということはしばしば語ってきた。自分の演奏の内容もその方向に行っていると思う。講演のタイトルをどうするかはまだ決めてないものの、バッハにおける対位法のあり方とショパンにおける対位法のあり方を比べてみるのも面白いかもしれない、と考えて依頼をお受けすることにした。

 ノクターンでいえば作品55の2以降の作品、マズルカでいうと作品56の3などがその典型的な例にあたるだろう。こういう作品でもショパンは美しいメロディと和声を放棄したわけではない。いや、むしろそれらをさらに深化させ、音楽に奥行きをもたせるための手法としての対位法が自然な形で入り込んでいる。それがあまりに自然なために人はほとんどそれに気づかないし、気づかなくてもそれらの作品がより深い味わいをもっていることは誰しも認めるであろう。晩年の作品群でそれらの手法をいったん認識した上で、もう一度初期の作品に立ち返ってみると、その萌芽、というべきものが若い頃の作品にもいたるところに見えることに気がつく。こういう「気づき」がひいては自分の演奏を深化させるのにつながるのではないかと思う。

 日本人は対位法、といっただけで小難しいもの、という先入観念で敬遠する傾向があるように思われる。それをどういう形で自然に自分の音楽の中に取り入れていくかは大事な問題で、対位法は作曲家に任せておけばいい、というものでもないのである。(札幌)
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