災害とブログの効用 [プライベート]
災害は忘れないうちにくるようである。ニュージーランドのこともまだ問題を残したままなのに今回の大災害は予想を超えたものだった。仙台、盛岡、水戸など多くの友人、知人たち元気でいてくれればいいが、と気にはかかるが電話は通じない。
夏に妻と旅行したあの風光明媚な三陸海岸の気仙沼、陸前高田、釜石、宮古、久慈など私たちを楽しませてくれたあのリアス海岸地方のほとんどが跡形もない、と聞くにつれ、胸がつぶれる思いがする。そういう東京だって東海道だっていつそんな目にあってもおかしくないのであるから、人ごととは思えない。とりあえず災難に会わないで生きているだけでも奇跡的に幸運なのかも知れない。
こういうときの現代の通信手段がこれほど当てにならないものだと実感した方も多かろう。私もその一人だが昔はそもそもTVやラジオなどなかったから、災害が起こっても何もわからなかった。ところがいまはTV で情報だけが洪水のごとく先に入ってきて、こちらからアクセスする手段をまったく奪われてしまうからよけいせつないのである。
今回の経験では一番当てにならない順にいくと回線電話、携帯電話、次にメール、そして意外にずっとつながっていたのはブログである。通信手段としては直接的ではないものの、とりあえず自分の安全を知ってもらうにはこれが一番かもしれない、と思った。本人の名前は出せないものの、知る人ぞ知る、でいいのであろう。(東京)
夏に妻と旅行したあの風光明媚な三陸海岸の気仙沼、陸前高田、釜石、宮古、久慈など私たちを楽しませてくれたあのリアス海岸地方のほとんどが跡形もない、と聞くにつれ、胸がつぶれる思いがする。そういう東京だって東海道だっていつそんな目にあってもおかしくないのであるから、人ごととは思えない。とりあえず災難に会わないで生きているだけでも奇跡的に幸運なのかも知れない。
こういうときの現代の通信手段がこれほど当てにならないものだと実感した方も多かろう。私もその一人だが昔はそもそもTVやラジオなどなかったから、災害が起こっても何もわからなかった。ところがいまはTV で情報だけが洪水のごとく先に入ってきて、こちらからアクセスする手段をまったく奪われてしまうからよけいせつないのである。
今回の経験では一番当てにならない順にいくと回線電話、携帯電話、次にメール、そして意外にずっとつながっていたのはブログである。通信手段としては直接的ではないものの、とりあえず自分の安全を知ってもらうにはこれが一番かもしれない、と思った。本人の名前は出せないものの、知る人ぞ知る、でいいのであろう。(東京)
2011-03-13 18:56
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