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Mレールレイアウト第3信 [メルクリン]

故荒谷正雄氏の遺品であるMレールのレイアウトその後の経過である。ご子息からDVDなどの形でいくつかの情報が届いた。例のレイアウトについては、小樽鉄道博物館にとりあえず保存されることが決まったそうで私も大変嬉しく思い、ホッと胸をなでおろしている。

同時に1936年当時のベルリンで走らせておられたOゲージの動画(当時はまだ一般の人がカメラを持つことすら限られた時代であったことを想像されたい)で、しかも20分くらいの記録を残されたのも驚異であるが、メルクリンの工房(どこであるかは明らかでない)を訪ね、工員が製品をすべて手作業でヤスリ、半田ごて、ノコギリ、ペンチ、手回しドリル、といった古典的工具で機関車のシリンダー部分を一つ一つていねいに組み合わせながら作られる工程も映像として 記録に残っている。

画像から読み取れるのは、レイアウトは当時は完全な3線レールのOゲージであった。複線のオーバルに側線があり、信号機なども見える。画質が悪いのでここでお目にかけられないのが残念至極である。車両は当時最新鋭であったと思われるディーゼル動車「Fliegender Hanburger」の2両編成、蒸気機関車も形式は定かでないが1-Dー1の車輪配列なので42型か(?)と思われるもの、10型、とおぼしき流線形、1-C-2の凸型電機、形式不明のタンク機関車、などなど多彩である。ロッド回りのアップの映像もあってかなり精密に作られていることがわかる。これらももし現存しているものならぜひとも拝見しておきたい、とメールを送ったところである。

追記: 流線型の機関車はテンダーの文字からNewYorkCentralと何とか読み取れた。でもそれを牽引する客車は明らかにドイツのものである。レールの素材はよく見えないが、どうもブリキ製ではないかと思われる。これは日本で戦後出回った、ブリキのガラレール(三線、交流)に外見が酷似しているからである。そういえば、日本ではじめてHOが始まった頃(昭和25,6年頃)はやはり三線式レール、交流ではじまり、ついで車輪、台車が絶縁したものが発売されるようになって、まずOゲージが直流化、HOもそれに続いた、という過程を経た記憶がある。私はOゲージ全盛時代に模型を始め、徐々にHOに主流が移った時代に育ったから、多分鉄道模型先進国であるドイツもそのような経過をたどったのでは、と想像する次第である。
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コメント 2

N

 おめでとうございます。
 小樽鉄道博物館は、ほかの博物館がショールームに見えてしまうのに対し、地域性があり、実物も模型も密度が高く、奥深さのある鉄道博物館という印象がありましたが、メルクリンが加わることによって、より幅が広がると思います。今度いついけるかわかりませんが、楽しみです。
 Oゲージはほとんど文化財ですね。作るところは見たことがありません。勝手に欲を言えば、デジタルリマスターかなにかできれいな画像が再現されて公開していただけると最高なのですが、お金かかるんでしょうねえ。資料としての価値は十分にあるのでしょうから、メルクリン社でしてくれませんかね。
by N (2012-09-23 20:44) 

klaviermusik-koba

Nさん

おはようございます。そういえば私が子供の頃、模型を始めたのは、日本でもOゲージでレールが三本あったことを懐かしく思い出します。その後、出回り始めたHOも最初は三本レールだったと記憶しています。メルクリンのやり方が、日本でもモデルとされたのでしょう。

小樽鉄道博物館でとりあえず保管されることになったのは、とりあえず貴重なものが散逸しないですむ、という意味でいい一歩前進だと嬉しく思っています。
by klaviermusik-koba (2012-09-24 09:14) 

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