敗戦記念日に想う [一般向け]
茨木のり子という詩人をはじめて知ったのは、中田喜直作曲の歌曲「わたしがいちばんきれいだったとき」を演奏して以来のことである。茨木のり子の詩は反戦の詩、ではなく一人の女性がごく素直に自分の感情を文字にした、誰にもわかりやすく、難渋な思想のないところがいい。ちなみに作曲者の中田喜直氏自身も特攻隊の生き残りである。この詩に大きな霊感を得て作曲したであろう名品である。彼の戦争観も歌詞のないピアノ曲にも生きている。
茨木の詩の多くは戦争がいかに悲惨なものかを、死んだ人のことも、生き残った自分にも声高にではなく、ごく普通の文体でさらっと描かれている。今朝の毎日新聞の「余録」にも彼女の詩が引用されている。私はこれに深く共感するものであり、お読みになった方も多いとおもうが、あえて当ブログにも引用したい。
茨木のり子がフィリピンで兵士の頭蓋骨を見つけ、こう記した。
生前/この頭を/かけがえなく いとおしいものとして/掻き抱いた女が きっと居たに違いない/小さなこめかみのひよめきを/じっと視ていたのはどんな母/もしかしてそれがわたしだったら。。。
昨今の日本の「自分の領土は断固として守る」という勇ましいフレーズが第二次世界大戦中に喧伝されたフレーズと重なってみえる。私はたかが一個の島のために戦争になり、そのために誰かが死ぬ羽目になるのはまっぴら。どうしても守りたければ、その人だけが行けばいい。私はいやだ。私の知る、もしくは知らない人をそこへ送るのもいやだ。大きな戦争が起こるにはそれなりの背景もあるが、きっかけはほんのちょっとしたことなのである。あえて「敗戦」の記念の日にいいたい。
茨木の詩の多くは戦争がいかに悲惨なものかを、死んだ人のことも、生き残った自分にも声高にではなく、ごく普通の文体でさらっと描かれている。今朝の毎日新聞の「余録」にも彼女の詩が引用されている。私はこれに深く共感するものであり、お読みになった方も多いとおもうが、あえて当ブログにも引用したい。
茨木のり子がフィリピンで兵士の頭蓋骨を見つけ、こう記した。
生前/この頭を/かけがえなく いとおしいものとして/掻き抱いた女が きっと居たに違いない/小さなこめかみのひよめきを/じっと視ていたのはどんな母/もしかしてそれがわたしだったら。。。
昨今の日本の「自分の領土は断固として守る」という勇ましいフレーズが第二次世界大戦中に喧伝されたフレーズと重なってみえる。私はたかが一個の島のために戦争になり、そのために誰かが死ぬ羽目になるのはまっぴら。どうしても守りたければ、その人だけが行けばいい。私はいやだ。私の知る、もしくは知らない人をそこへ送るのもいやだ。大きな戦争が起こるにはそれなりの背景もあるが、きっかけはほんのちょっとしたことなのである。あえて「敗戦」の記念の日にいいたい。
2013-08-15 09:36
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