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伊豆大島台風の被害 [プライベート]

何よりも大変な被害に会われた方々に深甚のお見舞いとお悔やみを申し上げる次第である。

その上でのことだが、これに関して、自治体の長などに責任を負わせるのは少し酷な気がする。10年に一度の巨大台風がくることがすでに分かっており、しかも火山灰の積もった脆弱な土地に住んでいる、ということはわかっていたはずではないだろうか。雨がひどい真夜中に避難するのはかえって危ない。これもその通りである。それならもっと早く日の明るいうちに困難を予測して避難をしておくべきではなかったか。住民の誰かが早く察知して行動を起こしていれば、住宅が流されるのは防げなかったかもしれないが、これほどの人命が犠牲になることは防げたのではないか。

私も一度避難の経験がある。10年以上も前のこと。南相木村の山荘は山奥の谷あいに位置し、山崩れ、鉄砲水などの災害にはいつも敏感にならざるを得ない。住み始めた時から「ここでは誰にも頼れない、何が起こってもすべて自己責任」と腹を決めたものだ。敷地の前が道路と小川に面しており、ある夏、大雨が続いて、前の川がかつてないほど増水した。ごうごうと不気味な響きをたてて、水位が道路の近くまで上がった濁流が流れるのに危険を感じた。いますぐにどうということはなさそうだが、もし前の道路が冠水するか、すぐ下流にある橋が流されたら完全に退路はたたれる。村の役場からとくに避難の勧告はないが、そんなものは当てにしておられない。こちらから村役場に電話をいれた。「避難をしたいから役場の2階にでもいいから受け入れて欲しい」ややしばらくあって連絡の電話が入り「老人介護施設が空いているのでそこに避難してください」午後4時半ごろのことである。長男は雨がひどいから施設までたどり着けるかどうかわからないからそれも危険だ、と反対したが「しかし、今ならまだ明るいから何かあっても何とかなるが、暗くなってからでは不可能」との私の決断で家族4人、貴重品と着替えを持って車で避難した。お隣の人、といっても1キロくらい先だが、やはり車で安全なところまで行って車の中で一夜を過ごしたそうだ。


村の避難者は私たちが第1号だった。続いてほかの村の人たちもぞくぞく避難をしてきて、そこでともに夜明かししたのである。炊き出しも行われた。一夜明け、さしもの豪雨も止み、何事も起こらなかったのは幸いで、みんな帰途についた。威張るつもりはないが、多分私の電話で役場が動いてくれたのだろう。避難は無駄に終わってよかった。それでも早くに危険を予知するカンは都会に住んでいると鈍くなるが、自然の中にいると危険を察知する動物的本能が多少戻るようである。
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