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ベルリン滞在記(2) [旅行]

仕事がらみではなく純粋に観光旅行に外国に出かけたのは実に何十年ぶりのこと。帰国したきょうは疲れを休めるために、東京でなにもない一日をあけてあるので、記憶の新しいうちにざっと書き留めておこうと思うが、当然、他人の旅行記など興味のない方が大部分であろう。あくまでも自分の記憶保存のためが主なので少々長くなるがお許し願いたい。

第1日
8:10成田エキスプレス。JAL407便 11:35定刻発、16:40Frankfurt定刻着。駅前ホテル「EXELSIOR」に投宿。夕食は駅中のバーでBockwurst mit Kartoffelnsalatとビール。

第2日
9:13 ICE 1で Frankfurt発 車中で、肩掛け鞄を駅のベンチに忘れた事に気がついた。車掌に一応報告したが、フランクフルトには一応連絡するが、見つかればベルリンのHbfに連絡が入るはず、という。冷静になって考えてみたら、旅行を続けるのにどうしても必要不可欠なものはそれほど入っていない。お土産、寝間着、それとiPadのケーブル、予備の下着など。この時点で外国で紛失物を探す無意味さを考えて、あきらめる事にした。

Berlin Hbf 12:25定刻着。すぐSバーンに乗りかえて(S7)Nikolasseeでホームまで迎えにきていてくれた義兄夫婦とおちあう。ホテル「GRUNEWALD」にチェックインののちそのまま、Zehlendorfにある義兄宅へ。つもる話多く、遅くまで談話。帰りはSバーンで帰るから、と言ったが深夜のSバーンは危険、やめたほうがいい。知り合いの日本人夫婦が身ぐるみはがれたこともある、とおどかされ、BMWでホテルまで送ってもらう。ベルリンも治安が悪くなったなあ。

第3日
最近のベルリンの町をあてもなくとりあえず視察、ということでTageskarteを買い(買い方に大苦労し、ドイツ人をつかまえて助けてもらう)Friedrichstrasseに向かう。適当に路面電車にのって、地図を見ながら乗り回る。午後、義兄宅へ。もう自分で行ける、と思ったがZehlendorfの駅からバスの乗り方が分からず、タクシーをつかまえ、乗ったはいいが、住所を書いた紙がない。電話番号だけは手帳にあったので、運転手に電話をしてもらい、やっと到着。そもそも公衆電話というものがドイツにはもうほとんどない。日本では少数ながら駅などの要所ではまだ見かけるのだが。また深夜に帰宅。


第4日

天気がいいので、ポツダムの宮殿を見るために、S bahnとREをWannseeで乗り継いで出かける。たった7.7キロしかないのに REが大幅に遅延し、一時間もかかってポツダム着。今朝の新聞でおおよそ知ってはいたが、昨日大幅なストライキの影響で、今日まで混乱が残っているらしい。駅の時刻表にある一本前の列車は運休になったみたい。だが、それについてなんのアナウンスもないのはひどい。帰りのREもやはり25分遅延。たった7キロの距離をベルリンではなぜ一時間もかかるのだろう。

ポツダム、サンスーシ宮殿見物の目的は(1)「鉄」の目で見るなら、宮廷敷地内に一両だけ保存されているはずの当時のHofzug(宮廷列車、メルクリンの模型で再現されたのが私のコレクションにある)見るため。(2)政治的に見るなら、第2次世界大戦に日本が降伏し、ポツダム宣言を受諾した場所でもある。(3)音楽的に見るなら歴史的な名著「フルート奏法」の著者クヴァンツがフリードリッヒ2世に仕えていた宮廷、というよりも、ヨハン・セバスティアン・バッハが当時宮廷楽師であった息子のエマーニュエルの紹介によりフリードリッヒ大王に謁見、王の前で演奏し、さらに王の主題による名曲「音楽の捧げもの」(Musikalische Opfer)の生まれるきっかけになった場所、といった方が分かり易い。

まず、宮廷列車について。これはいまDBAGが管理しているらしく、ポツダムHbfから2駅西のAm Wildpark駅に隣接して建てられているが一般には公開しないとのこと。残念! でもまあせっかくきたのだから建物だけでも見て、広大なサンスーシー宮をひととおり見学した。なんといってもバッハがかつて演奏し、クヴァンツが仕えていた宮廷なのだ。出口近くで当時の宮廷の服装でフルートを吹いていた男がいた。私の顔を見るや、日本の童謡を吹き始めたが、私はそれを制し、ここはバッハが来訪した宮廷ではないか、といったら、バッハの管弦楽組曲の「バディヌリ」を全曲披露してくれた。あまりうまくはなかったが、お礼に5ユーロ奮発した。そうこうしてホテルに帰ったら、東京出発当時から風邪気味だった妻の風邪が急に悪化し、ホテルにつくやダウン。

夕刻、ハンブルクに住むN君の来訪があり、久しぶりに飯を食いながら歓談した。

第5日

妻が高熱でひどいので、義姉がホテルより家で寝ていた方いいから、というのでそうしてもらう事にした。さいわい持参した抗生物質が功を奏したか、夕刻には熱は下がり始め、気分も良くなってきたみたいなので、夕食は皆と一緒にとる。
私は、といえばこの日は一日、義兄とコンバスのレパートリーを片っ端から合奏して遊ぶ。これは楽しい一日だった。

第6日

少しEUROが不足してきたので、町まで義姉が一緒にいってくれるという。なにも両替えくらい、町までいかなくとも、と思ったが、率のいいところ知ってるから、というので一緒に行ってもらった。電車賃を使っていったら同じ事では、と思うがせっかくの好意を無駄にするのもとも思い、町を案内してもらうのもかねて Zoologischergartenまで出かけた。Zoo駅は冷戦時代、実質上Hbfだったのでその変わりようも見たかった。

両替のあと、姉とも別れ、KaDeWeで気に入ったシャツがあったので買い、その足でHbfまでいって、翌日予定していたMollibahnのためのRostock行きの時刻表をインフォメーションでもらい、ついでに帰りのICEの座席指定券も買っておく。ところが駅のホームのベンチで夢中で時刻表を読んでいたら、せっかく買ったシャツをベンチに置き忘れた。一駅のって気がついたが戻ってみたらもうなかった。いかにもくやしいので、翌々日またKaDeWeで全く同じものをまた買うことになる。(年のせいか、よくものを忘れる)

義兄夫妻は明日から新しい家を見るため、700キロもあるザールブリュッケンまで運転して行くという。娘夫妻がいるところなので、老後はその方が安心、という事なのだが、もうすでに80才だから十分に老後ではないか。家探し、今の家を処分する、引っ越し、とそれだけでもこの年で大変な事である。いまのベルリン郊外のこの家でも十分快適じゃないか、と思ったのだが、まあ彼らなりの考えでそうするのであろうからあまり深入りはしない事にした。

第7日

Rostock経由でmolliの始発駅であるBad Doberanに行く。これについては「鉄」関係なのでいずれ別の項目で。


第8日

妻と中心街のZooまで出る。 ふたたびKadeWeで同じシャツを買い、妻が気に入った帽子をみつけたのでこれも買った。このデパートで昼食をとり、午後はWannseeまでS bahnに乗車。この日は雨が降ったりやんだりであまり天候はよくなかったが、とりあえず雨にぬれなくてもすむ2時間の遊覧船でWannseeを見物した。乗りながら分かった事だが、この水路はWannseeも含めて途方もなく広く、2時間のRundfahrtはほんのそのごく一部だった。

第9日

Berlin Hbf10:32発  ICE371 でフランクフルトに来たが、この駅は昔とあまり変わっていない、と思った。ただしそれは見かけだけで、S bahnが地下にもあり、空港行きの列車を見つけるという単純な事に大きな荷物を抱えて右往左往した。ドイツ第一ののハブ空港、というのに、行き方の表示が中央駅に全くないのは外国人には不親切。行きに立ち寄ったバーでふたたび食事をとりながらよく見るとMITROPAにかんする、古い写真やミトローパのロゴが店頭に掲げられている。マスターにゆっくり話を聞きたかったが、忙しそうだったので機を逸した。このバー、どうやらただ者ではなさそう。

JAL408便は日本の大雨の影響で1時間遅延。今度の旅行はいたるところで交通機関の遅延に見舞われた。なかでもmollibahnを見に行った帰りのREの遅延は実にひどかった。が、これはまたいずれ。

第10日

14:30成田空港に1時間遅れで到着。
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masato-marklin

 私も、昨年ベルリンに行った時、屋台のベンチで食事をしている時、目の前でアコーデオンを弾きながら歌いだし無視していても、お金を払うまでどかなかった事が有りました。
 その時は隣のドイツ人の人が追っ払ってくれました。
 Sバーンでもギータや歌を歌いだされ、数人に囲まれ、ましたが、その時は無視していたら、よそへ行ってくれたので助かりました。
 KadeWeの前では路上で、賭けをしていて、見ていたら、お前も賭けろ、みたいな事を言われましたが、すぐ警官が来て排除されていました。
 両例とも、見た目ドイツ人ではなった様な気がします。
ドレスデンではそのような事はありませんでしたが、ドレスデン在住の友人からは支払う時でも、余分な現金は絶対見せるなと注意されました。
 ドイツは治安が良いですが、どこでも注意は必要ですね。
by masato-marklin (2014-09-13 23:11) 

klaviermusik-koba

やはり、危ない寸前、いろいろ体験されたのですね。多分ベルリンばかりでなくEU大都市共通の問題なのでしょう。日本人ももっと外国人を受け入れよ、という意見が多いですが、特にドイツはナチの反動で戦後積極的に外国人を受け入れた結果がこれです。外国人は日本も今後受け入れざるを得ないでしょうが、何十年か先の日本を見る思いがしました。
by klaviermusik-koba (2014-09-14 09:34) 

ake_i

お帰りなさいませ^^
奥様、高熱とは大変でした。その後体調は大丈夫なのでしょうか?
by ake_i (2014-09-14 21:28) 

klaviermusik-koba

ご心配をおかけしましたが、ほぼ回復し、なんとか日常生活に戻りました。旅行の疲れも出たのだと思います。
by klaviermusik-koba (2014-09-15 06:34) 

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