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墓標 [プライベート]

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もう35年以上前の話である。

私の父が死去した時、彼の生家の墓地からF霊園に分骨して墓所を新たに建てた。もう田舎には遠方なので身内は誰も墓参りはしないだろうからである。ここは富士山の麓にある広大な墓地で、春は桜が素晴らしく、秋は秋で紅葉が見事、ちょうど今が一番の見頃になる。ここが気に入っているもう一つの理由は、墓地、墓標はすべて同じ大きさ、同じ形で生前、金持ちか、そうでないか、名声、肩書きなど一切差別がなく公平になっていることである。そして墓守をする人が途絶えてもそのあとの処理をきちんと考えてくれているのもいい。少子化の時代、先々のことまで考えてあるようだ。

墓石はごく一般にはOO家、と彫られているが、そろそろ自分の番が回ってくる年齢になって急に気になり出した。墓参りに行くたびOO家、というのが理由はうまく説明できないがどうも嫌なのである。そこで長男として独断で墓標を変えることに決めた。家の名前はもうやめることにして、このようなアイデアの図柄を自分でデザインして石に彫ってもらうことにした。この絵を見て生前の人物をどう解釈するかは見る人に任せることになる。少なくとも墓地を訪れるであろう見ず知らずの人も、この絵を目にとめてなにか想像力を働らかせるにはOO家、よりはマシであろうと考える次第。
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K.

先生、私も自分が亡くなったときのことって考えます。
私自身は絶対!“自然葬”をと身内にいつも言っているので、
“墓標”に関することなど考える機会には、ないのですが。
(絶対海になのです)

先生のお父上様が眠っていらっしゃるところは
自然に恵まれたところなのですね。

そこには、ええ、先生のデザイン、
四季折々の音を奏でてくれそうですね。


by K. (2014-11-20 04:06) 

klaviermusik-koba

死に方を考えることは、日々の生き方を考えることでもある。多少早い遅いの差はあるものの、死は誰にも訪れるもの。

自然葬がいい、とは私も思わないでもないけど、それも意外と大変そうだから(頼まれた方が。これだけは自分でやるわけに行かないから)、私は肩肘張らず世の中の習慣はある程度受け入れ、こんな格好になるわけです。
by klaviermusik-koba (2014-11-20 09:19) 

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