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電車ならなんでも乗る(坊ちゃん列車考) [鉄道あれこれ]

「坊ちゃん列車」は道後温泉、一六タルトとともに松山名物だが、現在の坊ちゃん列車は路面電車の軌道を伊予鉄の松山市駅から道後温泉まで一日何往復かしていて観光客に人気がある。私が乗った時も小さい客車に観光客で満員だった。もうこの蒸気機関車まがいのものができてから15年ほどの年数が経ち、時折ほかの地方のイベントなどに貸し出されたりもしている。「坊ちゃん列車」復元に当たっては市街を走るため、石炭は火災の危険防止の観点からディーゼルを動力にすることになったのだそうだ。でも石炭でなくても、せめてオイルだきでもいいから蒸気動車にしてほしかったというのが偽らざるところ。

あらためて夏目漱石の小説「坊ちゃん」を読み直して見るといろいろ合点のいかないところもある。「坊ちゃん」こと漱石は、船で高浜港に着いて、市内の中学校(現在の県立松山東高校)に向かうのだが、二里ばかりのところを汽車で5分ばかりゴロゴロと走ったらもう着いた、という記述がある。2里といえば8キロだから、当時の汽車のスピードだと5分で着くはずがない。漱石が乗車した路線は現在の伊予鉄高浜線の前身かと思われるが、(昔は762ミリの軽便鉄道)いまの電車(旧京王のステンプラ)でも高浜ー松山市まで20分くらいはかかるのだ。おそらくは当時高浜線は現在のように市内まで通じていなかったのであろう。当時の終点は何処だったかは判然としないが、漱石はそこから自動車を雇って中学までたどり着いたのだと思われる。

画像に掲げた銘版はオリジナルかどうかはわからないが、ドイツ語と英語の混ざったもので東京のSASGA(?)というエージェントがミュンヘンの機関車メーカーのクラウス社から輸入したものらしい。あまりに小さいものだから、包装も解かずにそのまま松山に送られたそうだから、新車であり、何処かの鉄道のお下がりではないのはたしかであろう。客車はよく復元されているがオリジナルの全長はもう少し短かったようで、漱石のいう「マッチ箱のような」感じだったのだろう。乗り心地は昔懐かしい2軸板バネでレールの凹凸などが直に伝わるから、漱石の「ゴロゴロ」という形容はそのままいまも当てはまる。市電と一緒にこういうレトロな列車が近代的な町並みを走り、いつでも気軽に乗れる、というところが受けたのであろう。私もあまりうるさいことを言わず素直に楽しんだ。料金は昔は1000円、と随分高かったのがいまは300円、と手頃な値段に落ち着いている。

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道後温泉駅

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