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エンブレム [一般向け]

昔なら何事も起こらなかった事件だろうが、ネット社会の現在、瞬時に世界中のエンブレムと比較できる時代になってしまったから、オリンピックロゴマークのやり直しをせざるをえなくなった事件は、私はどちらかといえば同情的にみている。

音楽の世界は先人が作ったものを「パクる」、ということを原動力に発展してきた歴史がある。絵画の世界もそうで、ピカソは自分の贋作問題について「その作品が自分が作った本物であろうが、偽作であろうが作品自体が良ければそんなことはどうでもいい」と喝破している。

人が作ったいい作品を模倣し,さらには元の作品より「俺ならこのネタを使ってもっとマシな物を作って見せる」という競争心、創造意欲をかきたてる作品はそれだけの人の心を捉える優れたアイデアを内包しているから,真似される,ということはある意味、光栄に思うべきなのである。もし、バッハの時代に著作権,著作侵害問題があったら現在、私たちはバッハのすばらしい大部分の作品を享受することはできなかったにちがいない。バッハは先人の優れた音楽を貪欲に模倣し、それに改良をほどこしてきた。ブクステフーデ、ヴィヴァルディ、フレスコバルディ、アルビノーニ,フローベルガー、クープラン、それにマルティン・ルターの編集したコラール集、まだまだ枚挙にいとまがないが、自分が使えると思った音楽的アイデアは全てパクり、さらにバッハの持ち前の天賦の才能によって今日の傑作群が存在する。マネをされたはずの多くの原作品はとっくの昔に忘れ去られたにもかかわらず。芸術は一日にしてならず、であって、いかなる大天才でもそれを育てる土壌がなければやはり才能は育たない。

要するに出来上がった作品が誰かの真似をしていようが、いなかろうが、「優れた作品かどうか」を絶対基準とすべきなのである。「誰かの作品に似ているかどうか」にばかり気を取られ、本質を見失うのは大変な損失であり、芸術家の創作意欲を著しく萎縮させてしまう。

でもあの大量のエンブレム入りの紙バッグやポスター、どうするのだろうと心配になるが、案外印刷し損なった切手と同じで、のちになって、ああ、あの物議を醸したバッグね、と貴重品扱いされ、値がつくかもしれないから、いらないならもらっておく、というのも手かもしれない。絶対的基準から見れば私はあのデザインはそう悪くない、と思っている。
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