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大荒れの北日本 [札幌日記]

 今年の札幌はほとんど雪がない。12月も後半の札幌としては例年にないことだ。そのかわり寒い。が、ともあれ静かな札幌で1週間を過ごしていたのだが、帰りが大変。新千歳空港まで来たら滑走路は一面の雪景色。

 天気予報は北日本は大寒気が到来して、大荒れになる、という天気予報で、実際この日は新千歳発の何便かが欠航したようだった。羽田行きはそれでも欠航はまぬかれていたが、飛行機には乗り込んだものの。いつまでたっても出発する気配がない。機長からはあと5分、とかあと10分とかアナウンスはあるけれど、だんだん先延ばしになる。なんでも雪が主翼につもったので、それをばかでかい送風機で吹き飛ばし、水滴が凍り付かないように凍結防止剤をまく、という作業なのだそうだ。なにしろジャンボ機だから、主翼の面積も半端ではない。ロシアのように寒冷地帯では良くある風景だが日本で経験するのははじめてのこと。

 水滴が主翼に凍り付くと、浮力が落ちて墜落の危険すらあるから、いくら出発が遅れようともこれは念入りにやってもらわなくてはならない。しばらくして、その作業が終わったと思ったら、こんどはなかなか管制官から離陸の許可が下りない。これもあんまり長びくとせっかくの凍結防止の薬剤も効かなくなる。ともあれ、1時間以上遅れて飛行機は無事飛び立つことができた。私はいつも運がいいたちなので、こういうときもだいたい最悪の事態はまぬがれている。ちなみにこの日の北海道は最低気温ー24.5度を記録した。

仏教聖歌もしくは讚仏歌 [札幌日記]

 もともと西洋音楽との接点がない仏教に西洋音楽がとり入れ始められたのはどうやら明治の中頃からのようである。教会で賛美歌が歌われるのは西洋音楽がキリスト教とともに発展してきたことを考えればごく自然なことだが、私にはいまだに仏教と西洋音楽とは何か違和感があるのを禁じ得ない。
西洋にしたところが、教会に音楽を積極的に取り入れたのはプロテスタントであり、カトリックはどちらかといえばそれほど音楽に積極的ではなかった。

 ある研究によれば本願寺から僧侶が何人か教会で礼拝をがおこなわれているのを参観し、西洋音楽を仏教の普及に役立てることを考えついたのがそもそもの始まりらしい。仏教国で日本以外にこのような仏教の普及に西洋風音楽がつかわれているのかどうか私は知らない。

 マルティン・ルターが行ったように、伝統的に教会で歌われていたメロディや世間一般によく知られたメロディに歌詞を替えて、作られ、それが200年もの間に多くの作曲家の手を経て、編曲、もしくは作品の中に使われて、バッハに至った、という歴史を考えれば最初は違和感があるのもやむを得まい。明治時代、多くの仏教聖歌が日本で集中的に作られ、その中には山田耕筰や信時潔のような第一級の人たちのものもあり、優れたものは多い。ただ、それが一般の作曲家や音楽家にあまり注目されず、仏門の中だけにとどまっているのが私が違和感を覚える原因かもしれない。

 しかし日本ももうこのような試みが行われて100年以上もたつのである。仏教讃歌が仏門を出ない理由はよくわからないが、やはり曲集は質的にいうなら玉石混淆であり、いろいろな人の手によっても改革、改良、もしくは、いいものとあまり良くないものの淘汰が行われなかったのがその原因かもしれない。
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