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破戒(島崎藤村) [札幌日記]

 iPadのおかげで、時間があればどこででも古典の文学に親しめる望外の楽しみを享受している。島崎藤村という当然若い頃読んでおかなければならなかった古典文学を、いまごろ読み始めた,というのも恥ずかしい限りではあるのだが、この年齢で読むからこそその奥深さも理解できる、という利点もある。小節を読むひとも、その時代、年齢、おかれた境遇、などにより,読み方が違って当然であるのだが、私は、それらを超えた何か大きなものを得たような深い精神的感動に包まれた。ホテルで深夜までかかって読み終わり、ただ、しばらく滂沱の涙にくれた。

 勿論ご存知の方も多いわけだが、ざっと筋書きをいえば、瀬川丑松、という「穢多」出身の青年が父の厳命により,その出自を隠して小学校の教員を務め、それが、少しづつ学校や村に知れ渡る過程をえがいたものがたりで、死を考えるほど苦しんだある日、丑松は父の厳命に背いて自らの出自を公にし、学校に辞表を出して(出さざるを得なくなって)決然と新しく生きる過程を描いたもの。「穢多」については、現代でさえタブーとされているくらいだから、藤村がこれを描いた明治39年といえば、「アンタッチャブル」といえるほど,その差別意識は強く、これをテーマに小説を書くこと自体、多大の物議をかもしたにちがいない。最近の文学でここまで感動を受けるものがあまり見当たらないのはわたしの不勉強のせいであることは疑いないが、「破戒」は,やはり古典としての大きな「風格」を感じたのである。「苦難を通して歓喜にいたる」というベートーヴェンの思想と何かあい通ずるようなおもむきを感じる。


 舞台に出てくる長野県北部、飯山地方の地名、とくにまだその頃は部分的にしか開通していなかった雪深い飯山線の沿線の町や村の名前の数々は長野に山荘を持っている私にはとくになじみが深く、小説に出てくる土地言葉も今なお、かの土地の人々の間で生きている。小説の中の人々の会話もまた、生き生きと迫ってくるようである。

6月の台風 [札幌日記]

6月にしては珍しい大荒れの天気になった。東京はかなりの荒れ模様だったことはTVで見ていた。私も一日予定がずれたら,往きか、帰りはかならず欠航の憂き目にあっていたが、今回もまたどちらも問題ないようである。見ていると、やはり全体的に航空路よりは地上の交通機関の方が影響を受けやすいようである。「飛行機は当てにならないから」という常識は変わりつつある。

それにしても先般の「弾丸ツアー」といい、今回といい、旅行が多いのに天候の影響をうけていないのはただただ運がいいとしかいえない。北海道の天候予想については、東京のテレビはほとんど何も報じない。やはり日本は東京中心にしかものを考えていないなあ、と思う。天気予報については、やはり地元HBCに頼るしかない。

札幌はいまもまだ寒い。もういくらなんでも冬服はいらないだろう、と思ってきたのだが夜は夏服ではかなり冷える。東京からの乗客はTシャツ姿が多いがさぞ後悔しているに違いない。気候はどう変わるかわからないから襟巻きくらいはあった方がいいよ、と妻の助言を入れて荷物の中にマフラーはしのばせてきたものの、ホテルにおいたままなので肝心のときに役に立っていない。でも東京はもう真夏日だという。一番着るものに困る季節だ。(札幌)

JR北海道の対応 [札幌日記]

 新千歳からスーパーカムイで札幌に向かう途中、恵庭を発車したところで急停車した。ややあってアナウンスがあり、「先行の普通電車が故障で運転不能となり、この電車をなんとかしないと、後続列車は発車できません、いつになるかわかりませんがしばらくお待ちください」ということで、止まったままになった。次の恵み野という駅で止まったままの普通列車をどうするか、ということらしい。

 私がすぐ考えたのは、このスーパーカムイを故障車のところまで運行し、連結して待避線のある島松まで最徐行で推進すればいいではないか、と思ったが、そういう発想はないらしい。もう一つの方法として、苗穂運転所から救援列車を出して、下り線に入って推進運転で待避線に入れる、という方法がある。多分そうなると思ったのだが、苗穂から来たとしても恵庭までせいぜい20分の距離である。ちょうど昼間だから、業務についていない救援用にまわせる列車はいくらもあるはずである。それがなぜ2時間もかかるのだろう、というのがどうしても解せない。

 結局2時間15分も遅れて札幌に到着したが、なぜこんなに時間がかかるのか。おまけに停車駅でもない次の恵み野で停車して、乗客全員にパンとお茶を積み込んだ。これにもかなり時間を要した。もうかれこれ2時近く、かなり腹も減っていたから有り難くはあったが、それよりは早く目的地に着いて欲しい。こういう事態は常に起こりうることだが、それに対する普段からの備えが不足している,と強く感じた。救援用のディーゼル機関車くらいは常備すべきであろう。結局、救援に来たのは「スーパー北斗」のフル編成だった。これでは能率が悪いわけである。だがまあ教授会にはなんとか間に合った。

野立広告 [札幌日記]

 北海道もまだところどころ雪は残るものの、桜がまだ美しいし、白樺などの新芽がみずみずしい。札幌が一番美しい季節であろう。札幌駅に降り立つと、空気がまったく違う。からっとしていて、ヨーロッパに近い空気を感じる。北海道を鉄道で旅行していて思うのは、本州のような野立広告がほとんど見られないことで、これが景観のよさに大きく寄与している。

 本来、禁止されているはずの新幹線沿線にも最近、違法な野立広告が目立ち始めていて、苦々しく思っているが、北海道にそういう規制があるのかどうかは知らないが、本当に少ないことは確か。でもこれを逆に見ると、本州のように金をかけてまで野立広告を作るだけの効果がない、だから少ない、ともいえるのかもしれないと思うとすこし複雑な気持ちにはなる。

 日本の町並みを汚くしている原因は3つ。(1)建築物の規制が緩やかなこと(いい面もなくはない)(2)道路に張り巡らされた電線類(これも地震国としては街の景観は見にくいものの、災害の多い国では復旧が楽である(3)広告の規制がほとんどなく、いかにも汚い広告が街を醜くしている。

 泊原発は5月5日以来止まっているが、いまのところ、札幌とその近辺で見る限り、とくに原発停止による変化はみられない。当地はむしろ夏よりは冬の電力が問題であろうが、一般家庭はだいたい灯油が主のようだから、東京ほどの影響はないかもしれない。

B777−200 [札幌日記]

 航空機というものは満席の時と空いているときとはずいぶん飛び方がちがう。今日の新千歳ー羽田の518便はかつてなく空いていた。離陸の時の滑走距離が2/3くらいで、軽々と飛び立つ上、フラップ(離陸と着陸の際に使う補助翼)はほんのわずかに降ろすだけ。ほんとうに旅客機も進化したものだ。777以前の最大の旅客機、B747ではフラップは3段階に分かれ、着地の時にはほとんど地面にすれすれくらいまでに降ろし、こんなにまでしないと重量機は離着陸が大変なんだなあ、と思ったものだが、777では、フラップは一段しかなく、機構がずいぶん簡単になった。今日は東京も札幌も低気圧の影響で悪天候だが、雲の中でもまるで浮いているように静かに飛ぶ。パイロットもなるべく乗客に恐怖感を与えないように、気を遣って航空路を選んでいるようである。そのために、飛行時間が晴天時に比べ、少し延びるのだ。昔のプロペラ機の大変な揺れを経験しているものにとっては、ややオーバーにいえば天国と地獄くらいの差はある。地獄ではあっても、列車で十何時間も3等車で揺られるよりはずっと速く着くから我慢していただけなのだ。

 私はいまの全日空が発足してすぐ(1957年極東航空と日本ヘリコプターが合併してJALに対抗する最初の民間機として設立された)東京ー名古屋間のDC-3に搭乗した、日本の民間機史上、ごく初期の乗客の一人である。双発のプロペラ機、止まっているときは機体が斜めに傾いているから、座席につかまりながら自分の席までたどり着かなければならない。それから半世紀以上、ほんとうにいろいろな機種の旅客機を経験してきた。鉄道ばかりでなく、だいたい乗り物は私は何でも好きだから、「鉄」ほどには詳しくはないけれど、歴代の主な旅客機はだいたい経験している。
 
 JALの客室乗務員もこんなに空いていると、愛想良くいろいろ話しかけてくる。私もだまって無愛想にしているわけにも行かないから、「この機材は国際線用ですね」とたずねたら「いえ、国内線用ですが、かつてのJASの機材を引き継いだもので、むかし国際線に使われていました」。ふつう777は座席が10列なのだが、これは9列、とややゆったりとってあるので、こういうどうでもいい質問をしたのだ。雑学がまたひとつ増えた。

札幌のアクセス [札幌日記]

 地方空港のほとんど、鹿児島や熊本や秋田のように空港へのアクセスはバスしかない、というところは話は単純だが、札幌のように鉄道、バスが競合しているところは当然お互いサービスの競争になる。鉄道料金は新千歳ー札幌駅間が1040円、バスは1000円。所要時間は鉄道が35分、バスが1時間30分。これで見る限り、バスの方が圧倒的に不利でいつつぶれてもおかしくないようにみえる。ところがバスも不利ながらも結構がんばっている。私は何10年もバスには乗っていなかったが興味半分と最近のバス事情の視察のため利用してみた。

 JRとバス路線の沿線はあまり競合しないので、バス路線の沿線に住む人や、仕事先のある人はやはり結構これを利用するらしい。JR札幌駅まで電車は確かに速く着くが、そこからバスや地下鉄にのりついで自宅へ向かう人にはかえって料金も高くつき、乗り換えの手間などを考えればいい勝負なのである。しかもバスは札幌市内に入ってからはちがった3つのルートの便を運行しているなど、けっこう工夫を凝らしているのだ。さらにバスは幾つかの停留所で地下鉄と連絡している。

 私は、といえば、ホテルから札幌駅まで移動するにも歩いて10分以上はかかり、電車も20分おきだからロスタイムは結構ある。それに電車はいつも混んでいる。一方バスはホテルのすぐ近くが停留所なのでロスタイムが少ない。結局実際の所要時間差は20分程度であって、リムジンバスの席はいつも空いているから楽である。そして、こういう雪国はどちらかが豪雪のためダウンしたときに2つ以上(高くはつくがタクシーも含めれば3つ)の可能性があるのは心強い。
 
 航空機はほぼ時間通りに着くが(旅客機ダイヤの正確さはJALが世界一といわれる)雪の多い季節には市内と空港のアクセスに苦労することがある。帰りは新千歳空港の搭乗の時間さえ決まれば、私はほぼ正確に3時間後にはマイカーで自宅の玄関に着く。今日もJALは新千歳を定時の10時に出発し、自宅に着いたとき時計は1時きっかりを指していた。なんたる正確さ!

英語のアナウンス [札幌日記]

 最近、とくにJAL機内の英語アナウンスの発音がめっきり良くなり(アメリカナイズされた発音のせいか?)私にも良く聞き取れないことが多い。それほど客室乗務員や機長さんの英語ほんとにすばらしい。昔は確実に聞き取れた日本人の英語アナウンスが私が聞き取れないほどうまくなった、ということである。もっともエールフランスのフランス人の英語アナウンスはもっと聞き取りにくいが。

 札幌市内のタクシー。私が赴任したばかりの頃は「Plesase,fasten seat belt」録音された女性のアナウンスが「ファステン」と発音しているのが毎回ひどく気になったものだが、最近やっと改善された。
まあいいことには違いない。札幌は大雪。旭川から来る直通の「スーパーかむい」が千歳線でもベタ遅れになっている。

札幌大谷短期大学50周年記念 [札幌日記]

 札幌大谷短期大学が創立50周年を迎える。今日はその祝賀会であるが、50周年にまつわる行事はシンポジューム、記念石碑の除幕、などこのところ目白押しである。

 ただこの短大も来年は保育科を残すのみとなり、あとは全部4年制大学となる。芸術学部、社会学部、そして何年かあとには保育も4年制大学になる方針が決まっている。であるから短大としてはこの50周年記念が最後の大きな行事となる。

 私は短大には直接関わっていないが音楽科の短大時代からいろいろとおつきあいもあり、現在音楽学部長の職責にあっても短大とのおつきあいはさけて通れない。でも今年限りで音楽科、美術科の短大は終わりとなるはずである。将来は保育科も芸術学部の傘下になるが、そのときはもう私はこの大学にいることはおろか、生きているかどうかも定かでない。(札幌)

ローランドの電子チェンバロ [札幌日記]

 ご無沙汰しました。札幌のパソコン不調のため、ブログネタはいろいろあったのですが、書きそびれました。

 「チェンバロに特化したローランドの電子ピアノ」を買ったから見ない?とある札幌大谷の先生からいわれた。じゃあぜひ見せてよ、ということで何にでも興味を示す私は早速遊ばせてもらった。見たのは一番最新式のもので、電子ピアノ(チェンバロ?)もここまできたか、という感慨をおぼえた。機能はチェンバロ機能が主体で、それにオルガン機能が少し付いている。ピアノフォルテ機能もある。ただ現代ピアノ機能だけは完全に外されている。これは発売するには勇気がいっただろうがその見識にはさすが、と感心した。

 チェンバロは8フィート、4フィートがあってそれぞれ独立しても、ミックスしても使える。泣かせるのは、タッチの微妙な差によって4フィート弦と8フィート弦がほんもののように少しずれが生じるのだ。鍵盤から指を離すとき、ダンパーがそっと弦に触れる独特の音がするのもにくい。また、鍵盤からの指の離し方による微妙な雑音の違いが出せる。ここまでくればもう通奏低音に使うくらいのことなら全く問題はない。どころか、アンサンブルの大きさによって音量を加減出来る点ではある意味ほんもの以上といえる面もある。もとより、ピッチは加減出来るし、古典調律も可能である。もう一つチェンバロの特色であるリュートストップも可能。ただリュートストップにはもう一工夫必要、という感想は持った。

 オルガン機能は8フィート単独のものとミクスチャーのついたものとの2機能しかないがこれはまあご愛敬であろう、と見過ごすにしてはただ者でない。機械式オルガンののように鍵盤を押してパイプに風を送る、鍵盤をあげて風を止めるときのわずかな独特の雑音がやはり再現されているところは残念ながらカワイ電子ピアノはまだ少し改良の余地はある、という感じはする。やはりこれは伝統がものを云う国で作られたものだからだ、ということを痛感させられた。



ミニミニオペラ [札幌日記]

 たいして用はないのだが、学生の卒業自主コンサートがある、ということで、先生の誰かが大学につめていなければならない。休みの日なので私がその役をかってでた。朝11時から4時半まで、いろいろの出し物があった。最後のプログラムに声楽の学生が、多少の有り合わせの装置と衣装とで「フィガロの結婚」の抜粋を演技付きでやった。これはとても楽しく、ピアノの学生が歌も歌い、声楽の学生がピアノも弾く、というふうで、アイデアと演奏もよかったが改めてモーツアルトの音楽にまぶたが熱くなった。超一級の作品は演奏の質に関わりなく人を感動させるもののようである。

 あんまり楽しかったので終わりに「おめでとう」といって、私はピアノの前に座り、ケルビーノのアリアの前奏を弾き始めたら、全員が歌いだしたので、とうとうおしまいまでやることになってしまった。まあこういう交流も悪くないであろう。


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