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村木厚子前局長 [政治]

 私は政治にはあまり興味がないし、ましてかかわる気もないが、最近の世の中の動きの中でこんなに心を動かされたことはあまりない。

 大阪地検特捜部から事情聴取を受け、そのまま逮捕となったのだが、判決で無罪となり、その検察のずさんな証拠固めが非難の的になっている。散々不愉快な思いをさせられ、長期間拘留されることがどんなに大変なことかは、以前、私の親友であるUさんが同じ目に遭っていてその拘留、裁判の一部始終を聞かされていたからよくわかる。 局長をクビになり、職を失ったあげく、身に覚えのないひどい目に遭わされたのである。ところが無罪となってその感想を聞かれて、

「検察には今後も期待している」。

 この一言がこの人の人柄を物語っている。これ以上ないような屈辱をうけ、裁判で無罪を勝ち取ったのだから、検察に対してはこの際云いたいことは山ほどあり、検察に罵詈雑言を浴びせても世の中から非難は受けまい。並の人間の言える言葉ではない。「汝の敵を愛せよ」と説いたイエスの言葉にも匹敵するのではないか。昨今ろくな政治家が見あたりにくい世の中、こういう人にこそ国会議員になって欲しい、と思う。

ベルリンの壁崩壊20年 [政治]

 世の中あり得ない,と誰しも思っている常識があっという間にかわる、ということはこの年齢まで生きると何度か経験する。しかし中でもベルリンの壁崩壊はここ20年の間の最大の事件だったと思う。その頃、私はベルリンの壁崩壊は考えたことすらなかったが、北朝鮮はまもなく崩壊するだろう、と思っていた。ところがあれから20年、中央ヨーロッパを隔てた鉄のカーテンはご承知の通りだが、北朝鮮はまだ持ちこたえている。つくづく先のことは分からないものである。

 ちょうどその年の秋、東京では第4回の日本国際ピアノコンクールが2週間開かれていて、私もその審査員の一人だった。世界から集まった審査員は世界の騒然とした動きに毎日もっぱら話題が集中した。いろいろな国の審査員がいろいろなことを言った。その中に東ベルリンから来たピアニスト、アンネローズ・シュミットがいた。まだその時点では東西の壁がくづれると予想した人はいなかった。でもあまりにも動きが急なので、私は直感でひょっとしたら、と思わないでもなかった。軽い冗談のつもりで、私は雑談にまぎれて彼女にいった。「あなたがこのコンクールを終えてベルリンに帰られる頃にはひょっとしてすでに壁は消えているのじゃないですか?」全員が悪い冗談と受け取ったと思う。仮に本当にそうなるにしてもその結果世界がどうなるかは誰も想像すらつかなかったのだ。

 第3時世界大戦になる可能性だってあった。そうならなかったのは、ソ連も東ドイツも経済的にあまりに疲弊していたからであろう。戦争にもならず、東西が一緒になれたのは奇跡的だとすら思う。昨日のTVのドキュメントではじめて知ったのだが、東西ベルリンを隔てた通用門をそこの番人が開けることになったのは、どうやら東側の(ソ連軍も東ドイツ軍も)命令系統がすでになっていなくて、上層部は東の住民にも一部外国旅行をみとめる、くらいのつもりだったのが、下に命令が伝わるにつれて曖昧になり、当の番人はどうして良いか分からず、自分の決断で門を開けた、これが東西ドイツ統一のきっかけになった、という。実に面白い話ではないか。

 資本主義の勝利、と思われた。確かに社会主義が世界を制覇するよりはマシであったろう。リーマン・ショック以来、やはり自由資本主義もダメじゃないか、といわれ始めているが、当時の社会主義国家を身をもって体験した人間としては、今の日本の社会がいくらひどい、といったって、あの社会主義体制にくらべれば、はるかにマシ、といまでも思っている。ポーランドは来年ショパン生誕200周年で沸き立っている。壁が崩壊して最大の恩恵を被ったのが旧社会主義国家の中ではポーランドではなかろうか。1960年のポーランドと、2009年の現在のポーランドは私には全く別の国に見える。

タリバンに賄賂をおくる [政治]

 私は新聞にはよく目を通す方だが,とくにべタ記事に気をつけて読む。というより,ベタ記事の方がなまじ新聞記者の主観がはいっていなくて端的に事実だけを伝えることが多いので分かりやすい。

 アフガニスタンでこれまでイタリア軍が警備していたところを,交代してフランス軍が受け持つことになった。とたんに,重装備をしたタリバン軍に襲われて10人のフランス兵が死亡した。遺族はフランス軍当局を訴えて裁判になっている,という記事である。

 これには背景があって、イタリア軍は駐留中、タリバンの攻撃をさけるために、彼らに賄賂を渡していたのだが、フランス軍は、それをしなかった、しかもその事実を後任のフランス軍には伝えていなかった、という。もとよりこれは深刻な事態だから笑えないのだが、いかにもイタリア、いかにもフランス、という感じがする。遺族がフランス軍当局を訴えたのはお門違いで、訴えるならイタリア政府、もしくはイタリア軍当局、ではないかと私は思うのだが・・・。

 

民主党は勝ちすぎた [政治]

 勝つだろうとは誰もが予想していたことだが、こんなに勝つとは民主党自身も予想外だったろう。それだけ自民党がひどすぎたと言うことである。それと、こういうときになると、小選挙区制という本来自民党に有利に作られたはずの制度が逆に働いた。

 私はこれまで民主党に入れたことは一度もないが今度はもう選択の余地がなかった。それで困ったのは私の選挙区では小宮山洋子さん一人しか民主党から立候補できない仕組みだからこれにもまいった。別に彼女がいいとか悪いとかではないのだが、実はこの人とは昔NHKの番組で半年ばかりご一緒したことがある。彼女がNHKのアナウンサーをしていたとき、私が出演した「ピアノのおけいこ」番組の担当だった。私は当時も今も似たような仕事しかしていないが、まさかその時点ではNHKのアナウンサーの小宮山さんが将来代議士になる、とは予想もつかなかった。世の中こういう流れになってくると、将来彼女が総理大臣になる、というのも、全くあり得ないことではないのだ。

 だからどうだ、ということもないのだけれど、やはり有権者の一人としては私情が入るのはやりにくい。といってほかの選挙区で票を入れる、ということもできないし・・・。

福田首相の辞任 [政治]

 福田さんは私と同年輩である。我慢に我慢を重ねてきたが、いよいよ我慢も限度に来てキレてしまった。無責任だ、と世間の評判は大変に悪いが、同じ年輩の人間として、心情は分かる気はする。我慢に我慢を重ねるが、限度を越すとなにをしでかすか分からない、というのは、私もにたような気質の持ち主だからだ。もとより、総理大臣の地位にある福田さんとヒラの人間である私とは違うのだからそう簡単にキレてくれては困るのだが、総理とて生身の人間である。まわりの人間は支えてくれない、自分の力だけではこの先なにもかも八方ふさがり。分かる分かる。

 対照的に、何といわれようとしぶとく、絶対自分の思うようにしかやらない、という歴史上の人物は吉田茂であろう。50年の歴史を経た今でこそ吉田茂の評価は非常に高いが、当時、国民からは福田さんをはるかに上回る総スカン一色だった。ワンマン、というのはこの人につけられたあだ名だった。それでも彼は総理を辞めなかった。現在では「ワンマン」はごく普通名詞化している。福田さんも私も時代の子である。なにがなんでも、ひとがどういおうと絶対引かない、という押しの強さに欠ける世代なのだ。戦後の民主教育時代に育った人間のいい面と悪い面をここにみる思いがする。

核実験後の北朝鮮 [政治]

 このところの北朝鮮、どうやら第2次大戦前の国際連盟を脱退した頃の日本に状況が似てきた。
世界から総スカンを食い、それでも大いばりをしている(しか方法はなかろうけど)。そして物資や金が外国からせき止められつつある。「宣戦布告とみなす」という言葉ももう常套化していて誰もびっくりしなくなった。誰に対して宣戦布告とみなすのか?アメリカに対して?国連で非難決議をしたすべての国に対して?どちらも現実的でないことは北朝鮮自身が分かっているはず。

 北朝鮮もかつての日本も、こういう風になると国内の政治家は威勢の良い意見が羽振りをきかせ、現実的に国力と世界のバランスを見つめて冷静に対処しようとする連中は「軟弱」と烙印を貼られ、国内で支持を失う。これがいちばんこわい。北朝鮮現象で日本もまた安倍政権下でそうなりつつあるようにみえる。「歴史に学ばない国は滅びる」至言である。

 そうはいっても諸般の状況から察するに、私なりに将来を占うとすれば、この緊張状態は暫く続き、金正日が失脚するか、死ぬかして国内の混乱が生じたとき、多分中国も韓国も日本も大量の難民対策に追われることになる。それが5年先か、10年先かは分からない。だから中国が必死になって国がつぶれないよう頑張っているがそれもそろそろ限界に来た。北朝鮮ももうカードを切り尽くした。仮に将来弾道ミサイルに核兵器がのっかっても現実には使えない。これは第2次大戦以降の歴史が証明している。

 かくして北朝鮮オタクである私も目の離せない日々が続く。


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