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江崎昌子ピアノリサイタル [ピアノ音楽]

ポーランドのピアノ音楽にとくに造詣の深い江崎昌子さんのリサイタル。プログラムはショパンの先生である、ユゼフ・エルスネルなどの作品のあと、ショパンの作品2の「ドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲」作品13の「ポーランド民謡による幻想曲」作品21「ピアノコンチェルト第2番」アンコールに作品22の「アンダンテスピアナートとグランドポロネーズ」など管弦楽付きの作品。

これらはいずれも私がピアノと弦楽6重奏用に編曲したものであり、とくにコンチェルトの2番はこれが編曲初演、ということになる。ピアノと弦楽合奏とのバランスの良さは、すでにCDの録音で証明済みであったが,ステージ、それも東京文化会館小ホール、という600人くらいの規模のホールではたしてどの程度の効果をあげられるか、というのが気がかりだった。

しかし,心配は杞憂に終わり、演奏はすばらしかった。ホールの条件の中で弦楽合奏のどのパートも,ピアノも私が想像した通りのバランスで過不足なくよく鳴ってくれた。補強した第2ビオラとコントラバスは予期した通りの響きの重厚さをもたらした。江崎さんもヴァイオリンの瀬崎明日香さんをはじめ、弦のメンバーも全員一体となった演奏だった。

ショパンのコンチェルトのオーケストラパートはほとんど付け足し、のように一般に思われているが、もともと私はそうは思っていなかった。こうして、弦楽奏者一人一人が自分のパートに音楽的意味を感じ取り、室内楽として演奏されると音楽の様相がまったく変わってくる。単にピアノをなぞっているだけ,と思われた弦パートの動きが生き生きとした表情と意味を持ち、これまでの「ショパンのピアノコンチェルト像」とはまったく違った様相をみせる。「編曲」という仕事は、曲を「解釈」するという点でピアノを弾くのと似通っている、というか、私の自分の中では同じと考えている。ピアノで音を出すか、音符に書き表すかの差があるだけである。ピアノはピアニストが考えたようにしか鳴ってくれない。編曲も同じで編曲者の考えた解釈通りにしか鳴ってくれないのである。(でも「作曲」という仕事は必ずしも作曲家が考えたようには演奏家は鳴らしてくれない!それがまた面白いところでもあるのだが)

この成功も,このメンバーだからこそなし得たのであって、単にピアニストと弦楽奏者が6人よりあつまってもいつも同じ効果を出せるものでもない,とも感じた。編曲者としては冥利に尽きるが、この編曲の仕事の快感を一般のピアニストに理解してもらうのはなかなか難しい。まあ理解される必要もないのだが。。。偉大なピアニストで,作曲家、編曲家でもあるフェルッチョ・ブゾーニはさすがにうまいことを言っている。「ピアノを弾く、という行為を始めたとき,その人はすでに編曲を同時に行っているのだ」

トーマス・テレフセン [ピアノ音楽]

トーマス・テレフセン(1823-1874)。ショパンの愛弟子の一人である。先だってアルフレッド・コルトー没後500年行事について当ブログで述べたが、過日、国立文化財機構理事T氏が来訪され、記念行事のご報告を受けたあと、雑談に移ってからなぜかテレフセンの話題になった。T氏のピアニストについての知識の博学はとうていなみのピアニストの及ぶところではない。「テレフセンの全曲録音があるはずだから」と言われて、2日もたたないうちに3枚のCDに収められたテレフセンのほぼ全曲集を送ってくださったのである。氏の博学もさることながら、その行動力の早さにはこれまた驚かされた。

テレフセンはショパンの晩年、イギリスやスコットランドの旅行に同行していた。当時ショパンは自分独自のピアノメトードの本を書く計画を持っていたが、ショパン自身にはもうそこまでの余力が残されていなかった。そこでこの計画を弟子であるテレフセンに託したのである。テレフセンもそれを実現すべく、仕事に取りかかったが「この仕事は私には荷が重すぎる」としてこれも実を結ばなかった。完成していたら,ショパン直弟子の伝えるショパンメトードということで、後世に大きな影響をもたらしたと思われるが未完に終わったのは実に惜しい。

作品1から44までのピアノ曲全部が収められている。テレフセンはノルウエー出身のピアニストだが、生涯のほとんどをパリで過ごした。初期の何曲かは明らかにショパンの影響が多く、耳当たりのいいサロン風小品の域を出ないが、中期以降大胆な転調を駆使するなど、独自の作風を示す。

以前に当ブログで、ショパンのもう一人の愛弟子、カール・フィルチュについてご紹介したことがあるが、フィルチュは弱冠15歳で他界したので独自の作風をもつに至るまで生きられなかった。テレフセンは51歳まで生きたから当時としては天寿を全うしたといえるだろう。一通り聞いてみたが、みるべき作品も決して少なくないので、これも日本ショパン協会で実際に演奏の機会が持てれば素晴らしいと思う。

お代は見てのおかえり [ピアノ音楽]

昔私のところにピアノのレッスンに来ていた人で、そののちクロアチアに留学し、クロアチアの音楽にはまってしまった人がいる。日本にあまり知られていないクロアチアや旧ユーゴスラヴィア地域のピアノ曲を演奏して積極的に紹介している。西井葉子さんというピアニストである。録音コンサートということで、公開演奏なのだが、入場料は見てのおかえり、ということでいくら入場料を払うかは聴いてからご自分でお決めください、ということのようである。

演奏会というものが有料で予約の切符を買っておく、というシステムはいつから始まったかは明らかでないが、モーツァルトは何回もの予約演奏会なるものを行っていたから、これは今のコンサートとほぼ同じやり方であったのだろう。

聞いたあとで満足度に応じて入場料を払う、というやり方は日本でも昔から芝居小屋であった。採算を考えないなら面白いやり方ではないか。ついでに授業料の高い私立大学の講義などでせっかく高い授業料を払いながら居眠りしたり、ケイタイをいじっている学生には、親が一括して授業料を支払うのをやめて、講義室の入り口で入場料を取るようにしたらどうだろう。一回の講義に出席するのに5000円もその都度払うとしたら居眠りする学生はいなくなるであろう。ちなみに自分の意思で参加する世間一般のピアノ公開講座などで居眠りしている人を私は見たことがない。私はどちらも同じように話をしているが、かたや目を輝かせて聞いてくれ、かたやほとんど居眠りしている。カネを払った分はモトを取らなきゃ、という意識が働いているか、そうでないかに差がここにあらわれている。いろいろな講義形式の授業で居眠りするのは大学生くらいなものである。なにかやり方が間違っているのだ。

それでもなお居眠りせざるを得ないような退屈な講義しかできない教授はやめてもらえばいい。学生には教授の月給から授業料を払い戻してもらう。欠陥商品だからだ。

ショパン第二コンチェルト弦楽版 [ピアノ音楽]

ポーランドのコミネックによる弦楽四重奏版にコントラバスを加えたヴァージョンは以前に名古屋での公演のために私が編曲替えをした。ブログでご報告したかもしれない。今度は江崎昌子さんが4月に第二コンチェルトを加えたプログラムでリサイタルをされることになった。

モーツアルトのラ・チ・ダレム主題の変奏曲も私の編曲で演奏されるようなので、このままではせっかくの第二ビオラを五重奏ヴァージョンだとコンチェルトでは遊ばせておくことになる。これはもったいない。そこでまたこれに第二ビオラパートを書き足して弦楽六重奏に編曲したら、と江崎さんに提案したら、可能ならお願いします、とのことだったので、無理かな、とおもったけれどやり始めて見たら第一楽章だけで2時間でできてしまった。これなら残りもやれそうな感じになってきた。

なんか、六畳の一間だった仮設住宅にだんだん部屋を建て増ししていくような奇妙な編曲法だが、あまりに手を入れすぎたので、もうほとんど私の編曲のようなものになってしまった。でも、弦楽四重奏より、これでだいぶん充実した響きになるはずである。

この曲は私の子供の時から特別に大好きな曲であり、大人になったら絶対演奏するのが憧れだったが、ワルシャワでも東京でも何度も弾かせてもらったし、夢はかなったが今でも一番特別な思い入れのある曲。それだけに好い加減な編曲には我慢がならないのだ。

仙川アヴェニューホールのFAZIOLI [ピアノ音楽]

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 世田谷区に30年近く住みながら、このホールの存在すら知らなかった。家からタクシーで10分くらいだから、ほんの目と鼻の先の距離、といえる。このあたりは桐朋学園の近くにあって小ホール(100席程度)とミュージアム、マンションなどの集合体で、ちょっとした文化圏を形成している。

 ピアノコンクールの審査を頼まれての仕事だが、今日は大人、それも40歳以下で、音楽大学を出た人、出ていない人、の二つの部門に分けられている。これは学生コンクールなどよりめっぽう面白い。音楽大学を出た人たちの演奏は、上等とまではいえないまでもまあそこそこにレベルは揃っているが、一般大学(もしくは大学も出ていない)の部門はまあ、めっちゃ面白い。楽譜は見てもいいことになっているらしいが、キリはまるでいま、初めて見せられた楽譜を見ながら弾いているのではないか、と思うようなのもいれば、ピンのほうはそこいらの下手な音大生など足下にも及ばないような上手なのも数は少ないがいる。曲目も私が知らないものも多いのでiPad持参するくらい、レパートリーが広い。

 中でも感銘を受けたのは、もう頭も少しうすいオジサンでそれも月光ソナタ、というから、私ははじめから期待していなかった。しかし、聞き進んでいくうち、どこという変わったことをするわけではなく、どちらかといえば不器用なピアノなのだが、確かなテンポに加えて、しっかりと私はベートーヴェンの音を聞き取ったのである。若い器用な学生が力まかせに弾きまくる熱情ソナタなどとは、どだいレベルが違う。聞けば東大の法学部を出た弁護士さんだそうで私はいたく感銘を受け、襟を正して聴き、満点をつけた。

 もう一つ面白いのはこのホールのデザインも奇抜だが、セミコンサートのFAZIOLIが備えられていることで、これでオーナーの志がわかる。スタインウエイなどでないところがすごいのだ。コンクールが終わってから少しピアノに触らせてもらったが、このピアノは、繊細さと、力強さを兼ね備えた素晴らしい楽器である。さすがにストラディヴァリを生み出したイタリアのピアノではある。国はつぶれかかっているが文化はつぶれない。日本は国がつぶれる前に文化がつぶれるのではないか、という危惧を私はいだいている。

知られざるピアノコンチェルト [ピアノ音楽]

iPadには知らない曲がいっぱい詰まっていて、移動中など知られざる曲をひもといて見るのは楽しい。以下は私の偏見と独断で知られざるピアノコンチェルトを評価してみる。

チャイコフスキーがピアノコンチェルトを完成した時、歴史に残る大ピアニスト、アントン・ルービンシテインに意見を聞いたところ、コテンパンにこき下ろされた、という話は有名である。当のルービンシテインも2曲ピアノコンチェルトを残している。が、これは大曲ではあるものの、チャイコフスキーはおろか、内容はフンメルにも及ばない駄作というしかない。誰も今では演奏しない理由も当然。大ピアニスト、必ずしもいい作品を書くわけではない。ノクターンでもフィールドにすら及ばない。パデレフスキも歴史に残る大ピアニストではあったが、ピアノコンチェルトをみる限り凡作。だが、ルービンシテインよりは質は高い。そういう意味ではラフマニノフはピアニストとしても作曲家としても超一級であるから歴史上まことに稀有な存在であることが改めて分かる。

リトルフ、といえば楽譜の出版者として有名だが、この人もピアノとオーケストラの大曲を残している。これは案外内容の詰まったいいコンチェルトである。今演奏してもそう見劣りするものではない。リストの1番のコンチェルトは4つの楽章をまとめて大きく全体を一曲とする、ロマン派の新しい方向を示した名作として有名だが、じつは同じような試みをすでにカール・フィリップ・エマニュエル・バッハが4つの楽章を途切れなく演奏し、全曲を一つにまとめる、循環形式のはしりともいえるピアノコンチェルトを残している。リストがこの曲を知っていたかどうかはわからない。エマーニュエル・バッハのコンチェルトはこの時代としては画期的ともいえる瞠目すべき工夫があちこちに見られる(この時代としては破天荒と言っていい)が、内容としては超一級、とはいいがたい。が、時代も傾向も全く違う作曲家が別々に似たような試みをしたのは興味深い。

モーツアルトはエマニュエル・バッハの影響を強く受けたといわれるが、コンチェルトだけに関していえば果たしてどれほど影響を受けたかははなはだ疑わしい。小品としてはいい曲を残した、ルービンシテインもパデレフスキもやはりピアノコンチェルトのような大曲になると、構成力と長時間聞きてを飽きさせない霊感の両方を兼ね備えるのは容易なことではないことがわかる。

それにしても歴史の評価ほど厳しいものはない。現在クラシック音楽としてレパートリーに定着しているものは奇跡的な才能を持った作曲家しか残っていない。生前いくら人気を博した音楽家の作品も200年という歴史の評価に耐えうるものは実に少ない、という感慨を持った。

マズルカ(あるコンサートへのプログラムノート) [ピアノ音楽]

         
           ショパン深奥の魂、マズルカ

                                   

 マズルカ、という3拍子の舞曲はポーランドのマゾフシェ地方に起源を発する、といわれていますが、19世紀前半にはすでにヨーロッパ各地に広く知られていました。そのため、フンメル、シューマン、ドヴォルジャーク、チャイコフスキーその他多くの作曲家もマズルカを書いていますが、いずれも1、2曲から数曲程度でショパンのように若い修行時代から死の直前まで60曲も書き続けた作曲家はほかに例がありません。ショパンは日常生活では自分の本当の気持ちを他人にさらけだす、ということのあまりない、慎み深い性格でしたが、ショパンの本当のこころの声をきけるのはマズルカをおいてほかにない、といわれています。

 ショパンはあるとき「自分のピアノはマズルカしか語らない」といったということが伝えられていますが、ある意味その通りだと思います。3拍子の舞曲にはメヌエット、ワルツ、ボレロ、ポロネーズなどというようにたくさんありますが、中でもマズルカはリズムの重心(アクセントといってもいいかもしれません)が2拍目、3拍目(さらに私の考えでは1拍目さえも)と微妙に揺れ動く特殊な舞曲です。そのため、これを会得するのはなかなか外国人にとっては容易ではありませんが、いったん理解できると、これほど直裁にショパンが自分を語ってくれる音楽はほかにありません。

 そのいう性格の曲ですから、民族色が全面につよく出ているのはもちろんですが、ただ、ポーランド、ハンガリー,トランシルヴァニア地方までも含めて、どこでもそうであるように素朴な民謡というものはもともと、楽譜などに書かれないので、それを正確に写し取ろうとすると、複雑な変拍子になってしまいます。それをやったのがのちのバルトークですが、ショパンがマズルカにこだわったのは4小節構造というヨーロッパ古典の基本様式にのっとりながらも自分がポーランド人である,というアイデンティティとをうまくマッチできる、いいかえれば、基本的に古典指向の作曲家であるショパンが自分の美学に合う民族音楽の要素だけを選び出してとりいれた、と私は考えています。そしてそれがほかに類を見ないような形で、崇高な芸術的作品にまで昇華させた音楽であるといえるでしょう。

こういったマズルカですが、約60曲全部がどれもよく演奏されるわけではなく,ごく一部に片寄っています。今夜は主にあまり演奏されないものに光を当てながら、15歳から最後の作品番号にいたるまでの、ショパンの生涯をマズルカでたどりたいと思います。

江崎昌子さんのショパン [ピアノ音楽]

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江崎昌子さんのショパンの4曲の管弦楽付きの作品のCDが完成し発売になった。私が弦楽合奏ヴァージョンに編曲したものである。こうして聞いてみると、江崎さんのピアノはきちんとした構成を持ちながら、自然な音楽の流れがあり、バランスの取れた実に魅力的なショパンに仕上がっている。それと合わせて重要なのが瀬崎明日香さんの率いる弦楽合奏が実によくピアノと溶け込み、寄り添い、ときに必要なパワーを発揮する、室内楽というもののよさがわかる。ショパンの管弦楽法の悪さもあって、オケパートがいつもぼんやりして、オケがあってもなくてもどうでもいいような役割に私はこれまでなんとはなしに不満を持っていたのである。

指揮者を通してでなく、一人一人の優れた奏者が自分の役割を意識することで、ショパンの緻密な音楽がこれほどはっきりした形で再現されたのは、まさに編曲者冥利に尽きる。私の意図した以上の効果が実現されたと言っていい。ショパンがワルシャワを離れてから管弦楽付きの曲を書かなくなったのは、一つにはショパン自身のピアノがあまりに繊細で、管弦楽がつくと自分の音楽の良さがすべてうまくいかない、と感じたのであろう。オーケストラに邪魔される、というところは確かにあったと思われる。ただ数は少ないがチェロを伴った作品やトリオもあるし、また将来ヴァイオリンソナタも書く計画も持っていたみたいなので、ショパンはピアノ以外の音楽に全く興味を持たなかったわけではない。

ライナーノートにも書いたが、弦楽四重奏だけでは現代のフルコンサートピアノとはこの場合に限るといかにもバランスが悪いので、第二ビオラとコントラバスを追加してハーモニーに厚みを持たせる工夫をしたのが功を奏した点は大きい。弦パートは6人の奏者を必要とする。ショパンがカルテットを伴奏に演奏した、という史実だけをそのままうのみに信じてしまうとショパンの使用したピアノ、プレイエルとショパンの繊細なタッチなど,ほかにも考慮すべき条件を見落としてしまう。現代の私たちの現実にそぐわないことを考えるべきである。

これはこれで、これまで見えなかったショパンの管弦楽作品の別の側面が明らかに見えるようになった、と私は感じている。ぜひ一度お聞きになって見てください。あまり知られないショパンのこれらの曲の良さに気づいてもっと演奏されるようになれば、と願うのである。

コンクールシーズン [ピアノ音楽]

このところ当ブログは「鉄」の話題ばかりなので、ずっと私は遊んでばかりいるように見える。まあこの年だからそう見られても別に不名誉ではないが、本業の方はピアノコンクールのシーズンでもあり、そのための生徒の指導、審査、それに継続中の新刊本の最後の校訂作業などに連日追われている。忙中閑あり、閑中忙あり、のような生活といえる。日本中のピアノコンクールの数は大小合わせると、200とも300ともいわれるから、どんなピアニストもどういう形にせよ、これを抜きにした生活はいまや考えられず、それらの内容をいちいちコメントするのも差しさわりのある部分が多いから、まあブログでは黙っているに限る。でも、私がピアノコンクールに関するブログを立ち上げたら、人気は出るかもしれないけれどブログは職業にあまり関係のない雑文を好き放題書くのがいいのだから、やっぱりやめとこう、となる。

それにしても日本人はよくよくコンクール好きの人種とみえる。これに匹敵するのは世界ではイタリアくらいなものであろう。イタリアはまたすごい。町のあるところ、ピアノコンクールがあると言われるくらいで、レベルもピンからキリまで。だからイタリアのなんとか国際ピアノコンクールに入賞した、というニュースもよほど内容を吟味する必要がある。

コンクールごとにレベル、内容の差が激しいから審査はそれに慣れるのが大変である。最初の数人のコンテスタントは点もつけず、コメントも書かず、じっと睨んでいるだけである。出場番号が一番に当たると不利だ、と言われるのはあながち当たってなくもない。審査員はまだ配られた書類の整理などにおわれて演奏に集中できる態勢になっていない。まるまる一日、おなじ集中度でピアノを聞くのは人間の能力を超える。今週は三つの全く違うコンクールに顔を出さねばならない。

というわけで、今日はこれから京都に行ってきまーす。

「ピアノが上手になる人、ならない人」 [ピアノ音楽]

秋に出版する新しい本の題名が決まった。主にピアノを専攻する高校生上級から音楽大学生、院生の平均的レベルに的を絞った内容である。タイトルの題名を提案したら案外すんなりとOKがでた。内容は以前の「ピアノの練習室」を基本としながらも、新しく書き加えた項目、譜例の増加や変更、不要な文章の削除、時代に合わなくなった言い回しの変更、必要な解説も加える、など多くの変更がある。「練習室」の面影をほとんど残さないくらいすっかり新しく衣替えをしたものである。鉄道の車両に例えるなら、台枠と台車を使って車体をすっかり更新するようなものなので、素人目には新造車のように映るはず。9月には発売、ということでこの夏は本の校正、編集に追われることになる。おまけに大学の講義のたくさんのレポートを読んで点数も出さなくてはならない。これもそもそも時間的に無理なのだ。

どう考えてもどちらも締め切りには間に合いそうにない。「SL人吉」などに乗って浮かれている暇はとてもないはずなのであるが、これはせっかくとった座席指定、諦めるつもりはない。当然仕事はおせおせになる。楽譜など資料の必要なものは東京の自宅でまとめ、細部の原稿の訂正などのツメは南相木村でやることになる。南相木村でもその間、四日市鉄道ファンクラブの友人たちの来訪があるので庭園鉄道(レーマン)も整備しなくてはいけないし、夏休みといってもこれまでの休みのようにはいかず、手帳をにらみながらの休暇となる。ブログの更新も少し滞ることになるかもしれない。

追記:札幌出発直前に春秋社から基礎稿が宅急便でとどいた。大変な仕事になる、と覚悟していたが、さすがは編集プロ、非常にすっきりといいところまで整理してくれているので,思ったより能率よく進みそうな気がする。飛行機の中でざっと目を通し今後の方針を決める。ただ、自分の文章もこうしてまとまってみると,あちこちまだ不備は見つかるし、ミスプリントや細部の訂正にはキリがないのがこの仕事である。ショパンのような天才肌のひとが、楽譜の校正のような地道な仕事をいやがっていたのもわかる気がする。

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