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クララ・シューマン ピアノ曲全集 [ピアノ音楽]

ヘンレ社から何曲かが出版されているのは知っていたが、日本でクララ・シューマンのピアノ独奏曲の全集が出版される。これは画期的な出来事ではなかろうか。その第一巻がこのほど春秋社から出された。クララ20歳、つまりローベルトと結婚するまでの作品である。これは単にローベルト・シューマンをよりよく知るための傍証的楽譜の域をはるかに超える。

この中にはローベルトが彼の作品の中でしばしば用いたクララの主題を発見することができるが、私見によれば、曲の内容がとても16歳の少女の作品と思えないくらいの天才的なひらめきを持つものが多い。非凡なモティーフの発想、予想もしない和声進行、曲の構成など。たとえば、ローベルトの第一ソナタの有名なモティーフ(ファンダンゴとしばしば言われる)のもととなった四つの性格的小品の出来栄えは、必ずしも第一ソナタに比べてひどく見劣りがする、とは言えないほどのものである。ショパンがこの作品を高く評価した、というのは弾いてみるとそれは確かにうなずける。古典のスタイルからはみ出ているが、そのはみ出方がいかにも、ショパンの審美眼にかないそうに見えるからである。

こうみてくるとこの天才少女の父親、フリードリヒ・ヴィークがこの時点でローベルトとの結婚に頑強に反対した理由もわからなくない、いや、もし私が父親であればやはり反対するであろう、と思えてくるから面白い。フリードリヒ・ヴィークはローベルトとクララの中を引き裂こうと頑強に反対し、裁判でまで争った音楽史上、悪者にされている人物である。しかし物事はそう単純ではないことがこの天才少女の若い時の作品に接するとき、歴史の読み方も変わる気がする。この種の楽譜はそうそう売れるものではないから、興味のある方は今のうちに入手しておかないと二度と買えないかもしれない。(続く)

エステ荘の噴水 [ピアノ音楽]

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リストのピアノ曲に「エステ荘の噴水」というよく知られた曲がある。噴水、といえば公園とかビルの片隅にある噴水を思い浮かべるのは無理もないが、リストのピアノ曲はとてもそんなものではなく、もっと豪壮な、噴水というよりは滝を想像させるような重量感があり、スケールが壮大である。エステ荘はローマからさほど遠くない山の中腹にあり、現代のように当時はモーターは使えないので全て自然の重力を利用して、広大な敷地の中に点在する噴水に様々な工夫が凝らされている。名所というものは、曲の題名につられて現場に行ってもたいていがっかりさせられるか、こんなちゃちいものからよくこれほどの名曲ができるか、と作曲家の想像力の豊かさに感嘆させられるかのどちらかだが、ここの噴水は、あれを音で表現するとすればまさにこうなるかなあ、と曲の出来ばえにも、現実の噴水にも感心させられるのである。

ポピュラリティからいえば、ラ・カンパネラなどとともにリストの最もよく知られた曲の一つであろうが、内容からいえば必ずしもリストの最高傑作とは言い難い。が、この曲の技法がのちの作曲家に与えた影響は大きい。素人受けがする、というのは言い過ぎかもしれないが、リストの曲としては、技術的にそうむつかしくない割に聞き映えがする、という点で人気があるのであろう。その割にはピアノを弾く人でも、ローマに行ったら何はともあれ「エステ荘の噴水」を見に行く、という話はあまり聞かない。観光ルートに入っていないせいか、実際見た人は案外少ないのではないか。ローマからエステ荘行きの観光バスが出ているから、それを利用すれば日帰りで十分堪能できる。ローマまで行ってエステ荘を見ないのは惜しい。

海上自衛隊のピアニスト [ピアノ音楽]

東京海上自衛隊に入隊して6、7年になるという、S子さんの来訪があった。プライベートで彼女とこうして会うのは久々で10年ぶり以上になる。G大のピアノ科を卒業して、軍隊に入る、というのは相当異色でまわりからずいぶん反対もあったようである。先日彼女の属する東京海上自衛隊の軍楽隊とプロコフィエフの3番のピアノコンチェルトを演奏する、というので隅田トリフォニーホールまで聞きに行った。最初その話を聞いた時、え?と思ったけれど、よく考えてみるとこの曲の主要なメロディはほとんど管楽器であるから、やりようによっては、ブラスでやってもさほどの違和感はないであろう、という私の予感はほぼ予想通りであった。彼女の演奏もとても良かった。

今では軍楽隊で女性は珍しくないのだが、彼女が入隊したときには女性として二人目であったという。いろいろ興味深い話も聞けたが、なぜ軍楽隊にピアニストが必要とされるか?というのが私の一番大きな疑問であった。以下、勤務先が勤務先であるから、交わした会話にはブログにはかけない内容もあるがそれに抵触しない程度のことを二つ三つ。。。

彼女の役割であるが、相当多岐にわたる。災害とか特別なことが起きない限り、勤務時間はほぼ普通の公務員と変わらず、平日は夕刻には帰宅し、土日は休み。ピアノの練習時間も結構取れるようである。最近のブラスバンドにはピアノを必要とされる曲が結構多い、ということもあるが、隊員のクラリネットやチューバなどの奏者もピアノを副科でやらなければならないそうなので、彼らにピアノを教える、というピアノの先生としての役割もある。その他年間に相当数あるマーチやコンサート(上述のような定期公演もある)の段取りや雑務もこなす、ということでそれだけで見る限り、まあ実質、そこいらの音楽大学の先生とさほど変わったことをやっているわけでもなさそうである。そして何より、彼女ほどの腕前のピアニストがいることで軍楽隊のレパートリーが増えた、というのだ。これまでラヴェル、ガーシュインなど近代のコンチェルトもやり、評判を聞いた他の自衛隊からもソリストとして時々お呼びもかかる。自分では吹けないけれどダミーでチューバなど抱えて行進する、などというのも勤務にはいる。自宅から勤務先まで10キロ足らずなので、歩いても走ってもたいしたことないです、とこともなくいうが、さすが自衛官、タフだなあ!

私が感心するのは今のところ音楽大学を卒業しても就職難の時代、早い時期にうまいところに目をつけた、ということだ。彼女の成功を見て、じゃあ自分も、と思ってももう今からでは多分遅い。





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第一回韓国青少年ピアノコンクール(2) [ピアノ音楽]

ソウルで始めて開かれた、第一回青少年ピアノコンクールの審査員として出かけたためにブログもしばらくお休みした。まだ日本ではあまり知られていないせいか、参加条件が非常にいいにもかかわらず、日本からの参加者は二名にとどまった。最年少が11歳、最高年が18歳で入賞が5名。結果は上位3名が中国人、4位が韓国人、5位が日本人でまだ中学生の黒木雪音さんが入賞を果たした。

日本でこのような青少年向けの大規模な国際コンクールが存在しない、もしくは存在し得ないのはなぜであるかは、ここでは触れない。ともかく、参加者は約1時間のソロ・プログラムを準備しなければならないから、普通にピアノを習っている、という程度のレベルではとても参加すらできない。この種のコンクールではドイツのエトリンゲンの青少年コンクールが日本では知られているが、世界的にみれば他にも結構ある。モスクワで行なわれている青少年ショパンコンクールにもオブザーバーとして参加したことはあるが、今回のソウルのコンクールのレベルは私が予想したよりかなり高い。ここで入賞できた人たちはすでに大人の国際コンクールであってもかなりいい線までいけるだけの、いわばその国のそれぞれ天才少年少女的レベルにある、といえばお分かりいただけよう。

入賞を果たした黒木雪音さんについても、その他の参加者についても、なんの予備知識を持たないで審査に当たったから、私の考えなりに公平に審査ができたと思う。ファイナルに残れなかった中にも多くのみるべき才能があったことも付記しておきたい。ソウルは私は始めてだが、ヨーロッパ諸国とは全く違うことは、当然予想していた。韓国と日本とかなり似ているところもある、とよく聞かされていたが、私の短い滞在期間での感想は、一言でいうと「いやもう、全く違う」としか言いようがない。もとより、旅行も一個人が観光旅行で自由に行動するのと、招かれた客として十二分な接待を受ける代わり、行動はほとんど先方の決めたプログラムに従わざるを得ない、というのとは印象が違って当然である。




第1回韓国青少年ピアノコンクール [ピアノ音楽]

コンクール事務局からメールでコンクールの詳細なスケジュールが送られてきた。私たち外国の審査員はセミファイナルから審査に関わるので8/18日にソウルに着いていればいいらしい。分単位で書かれたスケジュールは日本の国際コンクール以上に正確で、審査は毎日午後から始まり、夜はそう遅くなく終了する、というので、通常の国際コンクールよりは楽なスケジュールとなっている。審査員は私を含め7人。課題曲は常識的なもので、年齢を考慮すればそう極端にむつかしいものが課されているわけではない。であるから、演奏の内容が評価のポイントとなる。


近年、韓国のピアノのレベルは非常に高いので、若い人たちがどのようなピアノを弾くかを見るのは甚だ興味深い。が、私は韓国は初めてである。スケジュールの中には私のマスタークラスも組み込まれている。一体何語でやればいいかもわからないので、通訳はお願いしておいたものの、現実は昔のカナダの時のように、結局私の下手な英語でやることになるのであろう。でもこれはまあなんとかなる。


思えば20年以上も前、日本で始めて開催する東京、そして浜松のピアノ国際コンクールの立ち上げに私も深く関わった経験があるので、韓国の第1回の国際コンクール、韓国の熱意はなみなみではないのがよく伝わってくる。外国からの参加者には滞在費と幾らかの旅費も補助がある。ちなみに賞金は1位が10000ドル、2位が7000ドル、以下5位まで、というのも見ても、青少年のコンクールの賞金としては桁違いの額。これだけを見ても韓国の貨幣価値を考慮すれば熱のいれようが尋常でないのがわかる。出発まであと3日、楽しみである。

これは青少年の本格的コンクールであり、ドイツの青少年コンクール、エトリンゲンからも運営委員や審査員が加わっているのを見てもわかる。これだけ子供のコンクールの数の多い日本でさえ類似のコンクールはわが国にはひとつも存在しない。なにしろ、セミファイナルで一日当たりの演奏者の数がわずか12人というコンクールが日本にあろうか。ない。それだけ一人のピアニストに長時間かけて実力をより詳細に審査できる。これもすごいことである。このコンクールは隔年に実施されるようだから、今後日本からの参加者ももっと増えるといい。

パデレフスキ・ピアノ国際コンクール [ピアノ音楽]

今年の11月にポーランドのビドゴシチというところで行われるパデレフスキ国際コンクールの東京予備選の審査を頼みたい、と審査委員長のピョートル・パレチニさんから依頼を受けていたのだが、肝心のパデレフスキ協会から、詳細を何も知らされていないので慌てて問い合わせたら、やっと今日10時から銀座のヤマハで、と返事がきたのがつい1週間前。いかにもポーランドらしい。

あまり日本では名前の知られていないコンクールだが、イグナツ・ヤン・パデレフスキ、といえばポーランド初代大統領であり、歴史的な大ピアニストであり、日本ではショパンピアノ曲全集のパデレフスキ版として知られている。世界各地の予備選はすでにワルシャワ、ロンドン、ウイーン、ニューヨーク、ソウル、モスクワが終わっていて東京が最後だそうである。パレチニさん、せっかくウイーンでやったのにオーストリア人は一人の応募もなかった、と苦笑していた。まあ私はさもありなん、と思った聞いていたのだが。。。

審査をするのはパレチニさん、海老彰子さんと私の3名で、応募者は7名のはずだったが、1名欠席で
合計6名となった。コンクールのレベルが高いのに日本ではなぜかあまり知られていないので応募が少ないのであろう。6名のピアニストが30分のプログラムを演奏する。数は少ないがレベルは非常に高い。今日のオーディションでは話し合いの結果2名のピアニストを推薦することになったが、そのままコンクールに出場、と決まるわけではなく、個人でDVDをポーランドに提出するケース(南米、その他予備選にとても出かけられない遠方からの参加者)もあるので、それらを総合して決めるのだそうだ。それならはじめから全部DVD審査にすれば公平で良さそうなものだが、そのあたりの曖昧さもポーランドというお国柄ゆえんか。

私もこのコンクールについてはよく知らないので、パレチニさんに「このコンクールの目的はなんですか?パデレフスキの作品や偉業を世間に知らせるためですか」ときいたら「まあそれもあるが、ショパンコンクールはあまりに有名だが、ショパンを上手に弾けないから、ピアニストとしてダメ、というわけではない。むしろショパンは上手でなくとも他のプログラムでいいピアニストを掘り起こすのが目的。現にポーランドの若いピアニストにはショパンが弾けなければ、というプレッシャーがかかりすぎている。それを何とかするため」という答えが帰ってきた。ちなみにこのコンクールの歴史は古いが、様々の事情で中止になってきた時期も長く、今年で9回目、とのこと。

悪魔的詩曲(スクリャービン)分析の試み [ピアノ音楽]

ーかくして、調性は崩壊するー


スクリャービンのピアノ曲、悪魔的詩曲 作品36の極めて個人的もしくはオタク的分析。かなり専門的な内容で、これは私自身の忘備録的な記録でもあるから、一般の方はもちろん、ピアニストもよほどパラノイア的傾向を持つ人以外はお読みになることはおすすめしない。

この曲はスクリャービンの初期から中期への過渡期的作品で、ピアノソナタでいうと、4番と5番の中間的な作風としてスクリャービンがどのように調性の世界から無調の世界に分け入るかを見ることができる。ソナタ形式をしているこの曲の構成が、じつは一つのモティーフから細胞が分化するように、あるいは一つのモティーフがさまざまに変容することで物語が展開するワーグナーの「指導動機Leitmotiv」的作風を持つ、という意味できわめてワーグナーの影響が強いということをまず指摘しておきたい。

手元にある春秋社版の岡田敦子さんの解説も参考にしながら、少々私なりの分析を試みる。

1 調性構造
まず調性であるが、ここではまだ確かに存在する。ただ主として用いられている和声が、属⒐の和音の変種が基本になっている関係上、調性確認の頼りにすべきバスがあまり重要性を持たなくなる結果、調性が曖昧となることが多く、この傾向はこのあとますます顕著となって、調性が崩壊するという過程をたどる。これがスクリャービン和声の大きな特徴である。古来スクリャービン、というとまず神秘和音,という概念がいきなり持ち出されるので、なぜこうなるのかが私にはよくわからなかったが、このように属9の和音が変形を繰り返しているうちに、彼の神智主義的傾向ともあいまってごく自然に神秘和音にたどり着いた、となれば、私にも納得がゆく。しかもこの神秘和音なるものは、ソナタのような大曲ではあまり使われず、小品で主に用いられたために、音楽を理論でなく直感に頼ってる人はともかくも、私のように理論でつめて考えるタチの人間はこの概念で行き詰まってる人は案外私も含めてけっこうおられるのではないか。

この曲では調子記号がハ長調ーホ長調ー変イ長調ーハ長調、と長3度で変遷していることも調性感の存在を裏付ける。ソナタの第一主題は岡田さんの意見と私の意見は少々異なり、17小節から始まる、というのが私の考え。冒頭は序奏であるが、ここで使われるモティーフは第一主題、推移、第二主題、展開部、終結部に密接にかかわっている。序奏の中で曲で使われるモティーフをすべて展示してみた、という感じになる。全曲を通じての調性の配置についてみると、同じハ長調で書かれているベートーヴェンのワルトシュタインソナタの第一楽章をモデルにしたのではないか、とも思われる。

2 主題の展開法
主題の展開の仕方は全体としてソナタ形式の枠組みを守りながら、ちょうどワーグナーの「ニーベルンクの指輪」の指輪の動機のように、動機自体を変容させることでこの曲が構成される。もともとラインの底に眠っていた黄金を、地底の国アルベリヒが指輪に鍛え直すが、神の国の主であるヴォータンに強奪され、指輪に呪いをかける。呪われた指輪を所有したものは絶大な権力を手にするが、呪われた全員が不慮の死をとげる、というのがこの演奏時間にして17時間にも及ぶ、楽劇のあらすじである。「指輪の指導動機」から多くの関連する動機を生み出しているように、スクリャービンのこの曲も最初の2小節にあらわれるソプラノの動機「ロbートbートート♯」からバスの主題、ついでさらにこれらを変容させた第3小節のソプラノ主題が導き出され、この三つのモティーフと、それ以外にも序奏で提示されたモティーフのみによってこの曲全体が展開される。

3 小節構造
和声の複雑さにもかかわらず、この曲がそう難解でない理由の一つに、小節構造が古典的でシンプルだ、ということがあげられる。序奏、第一主題、第二主題がすべて、4+4+4+4=16 小節という規則的な構造をしている。展開部、コーダさえも例外でない。たった一つの例外は第二主題後に2小節の挿入句があるだけ。モーツアルトのような古典ソナタなどはもっとずっと複雑な構造のものが圧倒的に多い。

以上の分析により、全曲の詳細な分析はここまで理解された人には不必要であろう。これでこの曲の構成法がおおよそわかり、曲の理解につなげられるであろうと思う。

ショパンフェスのことなど [ピアノ音楽]

ここ2週間くらいは、ピアノ漬けの毎日だった。一週間にわたった第4回目のショパンフェスも先週の土曜日で毎日昼夜2回合計13回に及ぶ全コンサートも無事終了。これまで3回にくらべ演奏の質が格段に高くなり、質のいい演奏がそろってきたと思う。ショパンフェスに出演するのは演奏者にとってはプレッシャーであるらしく(何と言ってもショパンばかり連続するコンサートだから他の演奏家同士と比較されるのはどうしたって免れない)、それがプラスに働いたものと見える。やはりこれは続けるべきであろうし、だいぶんその環境も整ってきた。すぐに来年に向けてのアイデアも考えなくてはならない。安いギャラにもかかわらずよろこんで出演してくださった、そしてそれに向けて精一杯の努力を惜しまなかったピアニストの皆さん、すばらしい演奏ありがとうございました。事務局側も大変だったがそれでも過去最高の入場者数であったと聞く。

私は休む暇もなく、翌日奈良希愛さんの、東京文化会館におけるアンサンブルシリーズのシューマンのデュオ全曲のコンサートに出演。これも一年がかりで準備してきたものだが、どうやら無事終了。私は彼女の邪魔をしなかったか、が最大の不安だが、これも評価は聞いてくださった方に委ねるしかあるまい。なにしろ彼女はいちばん油の乗り切った年齢、かたや私はなんと言っても後期高齢者だから、ひたすら、彼女に迷惑にならなければいい、とそれだけを考えてきた。内実をいえばその不安があったから、このコンサートの企画を聞かされた時も私は固辞し続けてきたのだが、結局押し切られ、彼女の熱意にほだされて出演する羽目になったのである。シューマンの連弾曲全曲(全部で4曲ある)というのは、おおかたがシューマンとしては必ずしも全部が傑作とはいいがたい、晩年の渋い作品なので、これをいかに飽きさせずに聞かせるか、という意味での難しさがある。

コンサートのお知らせ [ピアノ音楽]

もう人前では基本的にピアノは弾かない、と決めていたのですが、いろいろな事情から二つのコンサートに続けて出演することになりましたのでお知らせいたします。ご多用中と思いますが、もしお越し頂ければ大変幸いです。

(1)5月27日 (月) 19.00

カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」
ショパンフェスティバルin表参道 オープニング
入場料 3000 ショパン協会会員には割引があります。

ショパン:マズルカ 講演と演奏(但し演奏が大部分です)

タイトル: ノートル・タン
(私たちの時)
副題: マズルカでショパンの生涯をたどる

曲目
(ショパンが作品番号をあたえなかったもの)
(1)マズルカ 作品68-1ハ長調
(2)マズルカ 作品番号なし イ短調(ノートル・タン)
(3)マズルカ 作品68-3 ヘ長調
(4)マズルカ 作品67ー3 ト短調
(5)マズルカ 作品番号なし 変ロ長調(15才ごろの作品)

(パリ時代)
(6)マズルカ 作品6-1 嬰ヘ短調
(7)マズルカ 作品6-2 嬰ハ短調
(8)マズルカ 作品6-4 変ホ短調
(9)マズルカ 作品7-2 イ短調
(10)マズルカ 作品7-3 ヘ短調
(11)マズルカ 作品7-4 変イ長調
(12)マズルカ 作品17-2 ホ短調
(13)マズルカ 作品17-4 イ短調(小さなユダヤ人)
(14)マズルカ 作品 24-1 ト短調
(15)マズルカ 作品 24-2 ハ長調
(16)マズルカ 作品 24-3 変イ長調

(ジョルジュ・サンドとの邂逅)
(17)マズルカ 作品 33-1 嬰ト短調
(18)マズルカ 作品 33-4 ロ短調

(サンドとマヨルカに滞在)
(19)マズルカ 作品 41-2 イ短調(フリギア調)
(20)マズルカ 作品 41-4 変イ長調

(晩年の作風の顕著な傑作群 パリーノアーン)
(21)マズルカ 作品50-3 嬰ハ短調
(22)マズルカ 作品56-2 ハ長調
(23)マズルカ 作品56-3 ハ短調
(24)マズルカ 作品63-3 嬰ハ短調




(2)奈良希愛ピアノアンサンブルシリーズ 2

6月2日(日)14:00 東京文化会館小ホール
入場料 一般4000 学生2500

シューマン ピアノ4手連弾曲 全曲演奏
(1)小さな子供と大きな子供のための12の連弾曲集 作品85
(2)子供の舞踏界 作品130
(3)東洋の絵 作品66
(4)舞踏会の情景

このコンサートではプリモとセカンドは奈良さんと私が交代で弾きます。


以上ですが、もしお越し頂ければ大変うれしく存じます。

連休の過ごし方 [ピアノ音楽]

連休はほとんどが仕事がらみの旅行に終始したものの、一番の印象に残るのは連休後半、堺市の中川知保さんの邸宅、ヒメシャラ堂の公開講座、公開レッスンだった。講座とはいうものの、例によってだいたいが雑談に終始し、どこまで「ためになった」かは心もとない。今回で3度目になる。始めての妻同伴デビューである。ここでの楽しみはご主人の「料理の鉄人」ぶりを見ることで、それはハンパではない。料理音痴である私がこれについて書き始めると多分間違いだらけで顰蹙を買うからそれはやめる。なにしろ一晩、私と妻は見事な料理にすっかり堪能させてもらった。関西に在住する昔の芸大時代の生徒さん(であった人)とは滅多に会えない人にも会うことができたし、五月のひととき楽しい時間を過ごすことができたのはとてもよかった。

ピアノの講座であれ、レッスンであれ、もう自分でもどこまでが職業なのか、趣味なのか、判然としないほどで、少なくとも仕事でやっている、という意識はなくなってきた。ピアノも、作曲も、編曲も、理論も一体となっている。それらが渾然一体となって、雑談、法螺吹き、と音楽を楽しめる境地になれるので年も無駄にとっているわけでもない。

帰途は例によって難波から近鉄特急で新緑の大和路を楽しんだ。たまたまホームで新しい特急「しまかぜ」の実物を見ることができたのは幸いだったが、カメラを持ってこなかったのは不覚。連休のことで当然満席、かと思いきや、結構空席が見られたのはなぜか。旅行というのはどこで何が起こるかわからないからやはりカメラは絶対必需品である。

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