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ショパンが日本のピアノの先生に習ったら? [日本ショパン協会]

「表参道」続編

 昨日は河合貞子さん、青柳いづみこさん、それに私とでパネルディスカッションがあった。1830年代のパリとショパン、ということでお二人にうんちくを語ってもらい、それはそれで楽しかった。

面白かったのは、話がショパンとカルクブレンナーのところに来たとき、カルクブレンナーはショパンに自分のところで3年勉強すれば大ピアニストにしてみせる、といったくだりである。カルクブレンナーのピアノは古い奏法だから、まず「君の指は弱いからまず指を鍛えなきゃ」といったそうだが、私はそこではたと思いついて発言した。「いまもし20才のショパンが日本のピアノの先生にもし習いに来たらどうなる?」 こういう発想はピアノの先生は誰もしないだろうがやはりカルクブレンナーと同じことをいうのではないか。「あなたは指が弱いからもっとしっかりした音がでるようにしましょ」と、ハノンとかチェルニーとかの練習曲をいやというほどやらされ、結局ショパンはつぶされるのではないか。(こんな才能はそんなことでつぶれはしないだろうが)

でもショパンの非凡なところはカルクブレンナーには結局師事せず、またカルクブレンナーの立派なところは、自分のところから去った生徒であるはずのショパンをずっと温かく見守り続けたことだ。程度問題ではあるのだが、指をやたら鍛える、ということにわたしは最近疑問を感じている。音楽に目覚めれば、そして(ここが大事なところだが)生徒自身が必要を感じれば、指は後天的にあとから鍛えられてくる、ということである。私は多くのそういう生徒を見てきた。

話のなかで即興演奏の話がたくさん出た。あとで後悔したが、当日、少し誰かからテーマをもらって私が即興演奏を実際やってみる、ということを思いつかなかったことだ。が、まあこれはまたいずれ適当なチャンスがあろう。

ショパンフェステイバル・in表参道(2) [日本ショパン協会]

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 ショパン・フェスも1週間が経過した。今のところ順調に進んでいる。表参道、という土地柄、道を通る普通の人にもショパンを気軽に楽しんでもらおう、という500円で聴ける約50分程度のランチタイムコンサート、というのを平日毎日設定した。聞く方は気楽でも、ここには若手の優秀な人たちを起用して、質は絶対落とさないように考えた。出演ピアニストは基本的に国際コンクールでの入賞実績のあるレベルのピアニストを基準とした。ランチの「内容」は東京會舘なみだが、「料金」は吉野家なみ、という企画。幾日かのぞいてみたが、気軽に、どころか演奏の内容はどれも実に気合いの入ったもので、どのピアニストも自主リサイタルなみの気の入れよう。4000円払ってもこのレベルの演奏はなかなか聴けないだろう、というものばかりで私が当初予想した以上の演奏レベルの高さに私の方がびっくりしている。

 最終日の6月5日は私の企画でショパンの「ドン・ジュアンの主題による変奏曲」「アンダンテ・スピアナート」などふだんあまり聞かれないオケ付きの4曲をピアノと弦楽合奏という演奏形態を取るめずらしいものとなる。これには来日していたワルシャワのショパン研究所の所長も大変興味を持ち、「こんな面白いショパンの企画はポーランドでも聞いたことない。コンサート当日は自分は残念ながらでられないが、録画をしてぜひ送って欲しい。ワルシャワでちょうどこの「パウゼ」と同じくらいのホールの建設がいま進んでいるから完成したらそこでもぜひやってみたい」。

 はい、世界初演なのであります。再演ははたしてワルシャワとなるか。残券わずかですがのこりがいくらかあります。お聞き逃しなく。

Chopin(Literature) [日本ショパン協会]

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 2010年を記念して新しくPWM(ポーランド国立音楽出版協会)から出されたショパンに関する美しい写真入りのall about Chopinである。1960年にもやはり「CHOPIN」が出されているが、あれから50年、ショパン学の新しい研究の成果に加え、1960年当時は西側の情報が不足していたから、十分とはいえなかったが、今回はそれを補い、満を持して出された記念すべき一冊。

 1960年版は私がショパンコンクールに参加したときのもので、参加者全員に記念品として配布された。これは巨大な本で、私のどこの書棚にも入らず、これだけは別に保管せざるをえない。今回のはずっとスマートな装幀で、大きさは旧全集(いわゆるパデレフスキ版)の楽譜よりわずかに小振りの大きさで、厚さは約4センチほどだが、ずっしりと重い。厚手の上質紙、読みやすい大きな活字、359ページ。いいことはわかっていてもこの手の本はなかなか読みづらいものだが、あちこちにちりばめられた写真がすばらしいので、写真につられて、本文もつい読んでしまう、という感じになる。私の手元にあるのは英語版であるが活字は大きく、学術書にありがちな難解なものではないので読みやすい。

 このように表紙は黒地の紙に白い文字とイラスト(ショパンのポートレートの一部をデザインしたもの)が少し浮き出る印刷で、ポーランドらしい簡素で、存在感のあるデザイン。(下の写真は紙表紙をはがした本体の装幀)これがもし日本語版で出版されたらすばらしいと思う。楽譜でさえ、最近は日本語訳のものが出されているのだから、結構需要はありそうに思うのだがこれほどの豪華版だとかなり高額なものにならざるを得ないであろう。

ショパンフェスティヴァルin表参道 [日本ショパン協会]

昨日の芸大におけるショパンの肖像除幕式に続いて、今日はフェスティヴァルのオープニング。午後3時に時に始まり、21時近くまでさまざまなイベントがあった。私は何時間もたちっぱなしのことが多く、足がひきつりそうになった。

会長である私の挨拶は、まずポーランド大統領の飛行機事故について哀悼の意を表することから始まった。ポーランド大使館やワルシャワショパン研究所所長など、ポーランド関係者の来賓が多かったからである。それと文化勲章の授与式(これは私が受ける側になる)、ついで日本ショパン協会賞の授与式(これは私が授与する側になる)、駐日ポーランド公使の挨拶、今回の催しの最大スポンサーである河合社長の挨拶、と型どおりのセレモニーは終了。

そのあと、講演、ミニコンサート、と続いてパーティーとなる。多くの人と話をしなければならない立食パーティーは私はあまり好きではなくできればごめん被りたいのだが今日ばかりはそうはいかない。主催者代表なのだから、いろいろな人と話はしなければならない。ポーランドの人たちとは飛行機事故の話が多かった。多くの人は避けて通りたい話題だが私は避けて通らない。事故の起こったのがロシア領内なので捜査権はロシアにあるのだそうだ。フライトレコーダーもまだロシア側にあるままで、ポーランドとしてはまだ手も足も出ない状態のようである。本当の原因、背景はまだ謎のまま。新大統領の選挙はまもなく行われる、ということまでは聞くことが出来た。

今日からがいよいよ本番。2週間25回のコンサートや講演、パネルディスカッションなど。出演者の皆さん、頑張ってくださいね〜〜。写真を撮ろうとカメラは持っていったが、撮られるだけでせいいっぱい、私のカメラの出番はついになかった。

追記:会場にはいろいろのグッズが販売されているが目をひいたのは「フレデリク」というスイスのメーカーの腕時計。ショパンの生まれた年にちなんで1810個の世界限定版だそうで、16万円、というのは安いのか高いのか。安くはないなあ。

ショパン銅像除幕式 [日本ショパン協会]

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 たしか2008年3月のことだったと記憶している。リビツキ前駐日ポーランド大使から私に2010年のショパンイヤーの記念行事の一つとして、ポーランド外務省よりショパンのブロンズ像を日本に寄贈したいが、設置のついてもっともふさわしい場所を選定してもらいたい、との依頼があった。誰かに相談できる性質のものではないので私は一人でいろいろ考えた末、やはり日本なら芸大以外にふさわしい場所はなかろう、と私なりの結論に達した。

 とりあえず就任直前の植田克己芸大学部長にこの話を持ちかけた。その話はすぐ宮田学長にも伝わり、大学主導でこの話は進められたようだ。ポーランド大使も設置にあたり、実際に芸大を訪問して、設置場所の確認をされて、それを諒とされた。ともかく関係者のかたがたの多大な骨折りでやっとこの日にこぎ着けたわけである。

ショパン銅像の除幕式は芸大キャンパスの校庭で関係者を招待して5月22日16時から行われた。天気は薄曇り。暑くもなく寒くもない理想的な日和である。ロドヴィチ大使が急病で帰国されたため、ザサダ駐日公使と宮田学長の挨拶のあと両者の手で除幕が行われた。ブロンズ像は大きすぎず、小さすぎず、となりのベートーヴェンの胸像と釣り合いがよく取れ、実にうまくおさまったと思う。

そのあとヴヌコフスキという新鋭のポーランド系のピアニストのリサイタルが満員の聴衆の奏楽堂でおこなわれ、つづいて祝賀パーティーと夜遅くまでつづいたが、すべてショパン肖像の除幕式にまことにふさわしいイベントであったといえる。ショパンの肖像はこれからもずっと、芸大の学生たちを見続けるだろうし、多くの学生たちの感慨も呼び起こすことだろう。パーティー席上、宮田学長からは何度も何度も私に感謝の言葉をいただいた。

私としては個人的に大したことをしたわけではないが、何か大きな仕事を無事成し遂げた満足感を持って家路についた。明日からは日本ショパン協会主催の「ショパンフェスティバル・イン・表参道」が2週間にわたって、合計26のコンサートやレクチャーがくりひろげられる。まだまだ気が抜けない。



日本ショパンコンクール本選会 [日本ショパン協会]

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(本選に向けてのオケ・リハーサル風景)
日本ショパン協会のピアノコンクール2010本選の入賞者が決定した。

第1位 宮崎翔太 fmoll Concerto
第2位 石井楓子 e moll Concerto
第3位 北端祥人 e moll Concerto

本選でオーケストラとコンチェルトを共演できるのは3名のみなので、本選には3名しかのこれない、というシビアなコンクールである。しかも2回の予選は1日置いて次のステージがあるのである意味ワルシャワより厳しいかも知れない。当然このコンクールは選ばれたプロを目指した人でないと、そもそも参加することもむつかしい。入賞者以外に予選ですぐれた演奏をしたピアニストとして、日高志野が選ばれた。

この人たちはいずれもワルシャワのショパンコンクールの書類選考に残っている人たちである。ワルシャワでの活躍をおおいに期待したい。5年前に比べて、参加者は減ったものの、入賞者のレベルは数等高くなった、という実感がある。

それにつけても秋山和慶さんの指揮するオーケストラの伴奏の見事なこと。長い前奏もカットせず全曲完全演奏である。私は息をのんで聞き入った。ピアニストのわずかなニュアンスの差を感じ取って即座にオーケストラの音色に反映させることが出来る指揮者はそうそうあるものではない。こんな見事なオケの伴奏とコンチェルトを共演できるのは幸せというほかない。願わくばこのコンクールがもっと一般に知られて欲しい。

日本ショパンピアノコンクール開幕 [日本ショパン協会]

 昨日第1次予選が終わったところである。27名の参加者のうち9名のピアニストが第2次予選に進む。日本ショパンコンクールとしては今回で第2回目になる。このコンクールは正直まだあまり知名度がない。ただこのコンクールは高いこころざしがある。日本にもういくつのコンクールがあるか数知れないけれど、本当のプロの演奏家を志す人のための試金石となる過酷なコンクールが一体いくつあるだろうか。このコンクールは本格的な演奏家のためのハイレベルなものと位置づけている。

 1次予選、2次予選、と1日おきにあり、2次予選の翌日には通過者はオーケストラとリハーサルのうえ、二日あとの本選に臨む。ほぼリサイタル1回分のソロ曲とコンチェルトがすぐに弾ける状態にないと参加すら出来ない。当然参加者はそう多くはなく、今年は27名。でもこの人たちはほぼすべて、すでにかなりなレベルにあり本選に誰が選ばれるかは楽しみである。

 審査員がショパン協会理事に加えて、横山幸雄、遠藤郁子、宮谷里香、高橋多佳子、それに私、とワルシャワの国際ショパンコンクールですでに賞を得ている人たちだけが審査に当たる、というのも他に例がなかろう。
  
 このコンクール開催に当たっては洗足学園の全面的な協力と、指揮者の秋山和慶さんの協力のもとオーケストラの提供と、資金面の苦しい日本ショパン協会を全面的に支えてくださっているからこそなのである。わたしはいつまで日本ショパン協会も会長を続けられるか分からないが、何とかこれが将来日本はもとより、世界に認められるショパンコンクールに育って欲しい、と切に願っている。

 第2予選は3月27日、10時から、秋山氏の指揮するコンチェルトを演奏するファイナルには3名しか残れない。本選は29日(月)17時から。洗足学園大学前田ホールにて。


日本ショパン協会賞 [日本ショパン協会]

今年も日本ショパン協会賞の受賞者が決まった。日本ショパン協会理事会の動向はブログで毎回お伝えしているわけではないが、理事会でいつも紛糾するのは受賞対象者の選考である。

理事の方々が日本全国のショパンの演奏をすべて聴くのは不可能なので、よくピアノのコンサートを聞かれる、評論家の方々にもお願いして、候補となりそうな一年間の日本人のすぐれたショパン演奏の情報を得ることにしている。現在では外国での日本人のコンサートにもすばらしいものがあるに違いないし、それを除外するのは不公平であることは承知しているが、現状はそこまではとても手が回らないので、一応国内の演奏に限っている。賞の対象になるのはショパンの演奏、といってもバラード1曲とかではだめで、せめて一晩のプログラムの半分くらいのまとまった分量にならないといけない、という一応の目安はあるがあくまで演奏の中身しだいである。

そこから上がってきた情報が私のところにもたらされる。その中から、これは、というものを10件前後を選んで私が実際聞いていないものはライブ録音されたCDを聞くのだが、コンサート会場で聞いた印象と、録音で聞くのとではずいぶん印象が異なり、選考の難しさを毎回感じる。そしてその中からさらに3−4件に候補を絞って、担当される理事の方々に聞いていただき、理事会に出られない場合はあらかじめ候補に挙がった演奏についての意見、コメントをいただくようになっている。

演奏者の経歴を知らないものについては私はその情報を知らないままで、つまり予備知識なしに聞くほうが先入観を排除できるから、最後の段階まで私は知らないままにしておく。こういうと中には経歴を知っている人もいるわけだから、不公平になるのじゃないか、という反論も当然あろうが、その場合もなるべく先入観を排して、既に私が名前をよく知っているピアニストでも、あくまでその時点での演奏の質を重視するよう心がけている。

理事会での最終選考の結果、今年の日本ショパン協会賞は河村尚子さんに決定した。実はこのピアニストについても私はほとんど知ることがなかったが、ライブ録音の一曲目をを聞いだだけて、日本人もこれだけのショパンを演奏できる人が出たのだなあ、という深い感慨を持った。さらに聞き進むにつれて、このピアニストの音楽性にますます惹かれた。これで決まり、と私は信じたが、理事の方々に聞いていただくためにもう一件だけ有力とおもえる候補を入れた。選考会議にあがる候補がたった2件だけ、というのは異例である。総じていえばショパンイヤーの前年、ということもあって低調に見えた。唯一の例外が河村尚子さんだった。

青天の霹靂 [日本ショパン協会]

 札幌から帰宅して、留守中にたまった郵便物を整理していたら、ポーランド大使からの文書があった。たぶん先日の大使館訪問に関することかな、と気軽な気持ちで封を切ったら立派な書面が同封されていて大要こう書かれていた。

「2009年9月30日付でポーランドでもっとも権威ある文化勲章である『グロティア・アルティス文化功労金勲章』をポーランド政府から貴下に授与されましたことを受け、こころから厚くお祝い申し上げます」
  
 青天の霹靂、とはこういうことをいうのであろう。勲章というものに縁のあるような仕事はこれまでなにひとつしてこなかったから、何かの間違いではないか、と最初思ったが、日本ショパン協会の会長、ということであるならば理解できる。初代会長の野村光一先生が日本ショパン協会を設立されてから来年でちょうど50周年の節目を迎える。会としていうならば日本でポーランド文化の紹介や普及、とくにピアノ音楽に関してはそれなりの貢献はしてきた、とは思う。これはけして私ひとりでした仕事ではないものの、「日本ショパン協会」の功績が認められた、ということであるならば素直に納得もできるし、光栄でもある。なによりポーランド文化省からお墨付きをもらった、ということで、今後この協会をひきつづき運営、発展させていくうえで大いにプラスになることはまちがいない。ありがたいことである。

 いつも一言多いのが私の悪いくせではあるが、ここでも一言付け加えるなら、9月30日付けで決まったことが11月ももう終わりになってから、 正式通知が届くというのもいかにもポーランド的、といおうか。

能の演目としての「ショパン」 [日本ショパン協会]

 2010年ショパン生誕200年関連行事の打ち合わせのため、ポーランド大使館を訪問した。ここはこれまで何度も来ているはずなのだがいまだに私は道をおぼえない。いつも誰かが連れてきてくれるからだろう。今回も事務局長同伴である。

 来年5月23日から6月5日までのまる2週間、表参道で行われるショパン・フェスティバルのオープニングに大使の講演があることは前にも記した。「ショパンと能」というタイトルだが、一体どういう関係があるのですか、という私の質問からまる1時間、話が弾んだ。ロドヴィチ大使の日本語は完璧であるからこちらも下手な外国語で話さなくてもいいから楽なのだ。実は大使自身、能の演目を創作した、というのにまず度肝を抜かれた。シテは当然ショパンである。なんでも、そのなかでショパンが亡霊となってあらわれ、e-mollのノクターンを演奏する、という設定なのだそうだが、これはまさに幽玄の世界ではないか。なんか面白いものになりそうな予感がする。当日はポーランド政府から託されたショパンの鏡像の除幕式が午前中芸大で行われ、その流れで、ポーランド文化省関係の人も何人か参加する予定になっている。

 もう一つ、大使のほうから頼み事があるのですが、と提案があった。1955年に日本人が始めてショパンコンクールに参加したそうだが、それから現在まで、第1次予選にエントリーしたピアニスト全員を招待してパーティーをもちたい、というのだ。これにはまず全員を洗い出す作業から始めなくてはならないし、その住所録を作るとなると、さらに大変なことになろう。でも仮にこれができたとしても、中には思ったような成績が上げられなかったから公表されたくないという人だって当然いるはずだ。公表をする必要はないが資料として保存することはこれは意味のあることだろうと思い、どこまで可能か分かりませんが協力をしましょう、と約束した。ついでに大使、世界中のピアニストの参加者リストを作ったらどうでしょう、といったら、苦笑いして、まずとりあえずは日本から始めます、とのことだった。

 開催期間中会場で「ショパン・グッズ」を展示して売る、というのはどうでしょうかねえ、と事務局長からも提案があった。ショパン印の香水、Tシャツ、ペンダント、ウオッカ、ハンカチなど、結構ビジネスにもなるのじゃないの、と、大笑いになったところで幕となった。
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