SSブログ
日本ショパン協会 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

ショパンフェスティバル [日本ショパン協会]

 どうも去年の2番煎じ、と思われているせいか、あまり入りが思わしくないのだ。よくみるとなかなか面白い企画だとは思うのだけれど。
明日は江崎昌子さんのリサイタルでプログラムはショパン関係ではあるもののまず聴けないようなものばかり。エルスナー(ショパンの先生として有名)ミクリ(ショパンの最後の弟子の一人でショパンの作品の校訂者)ランドフスカなどなど、少しマニアック過ぎるのかも知れないがこういう作品を掘り起こすこともショパン協会としてやるべきことだと思う次第である。先日の揚原祥子さんのショパンとリストの会も一見何ということのないプログラムなのだがよく考えられたプログラムで演奏がとても内容の濃いものであった。まあ世の中の人気度とは関係のないこういう地味だが内容をよく考えた催し物をすることに日本ショパン協会の存在意義がある。

 ショパンが好きな人はこういう周辺の作品にも接してみることは面白いしショパンという人の性格を改めて浮き彫りにしてとらえることができる、と思うので時間のある方はぜひお出でください。ショパン協会でやっているもののコンサートの中には地味だが一度聞き逃したらあとほとんど聴くチャンスがない、というものが結構多い。

 昨晩はポーランドの文化省の大臣の来日歓迎会が駐日ポーランド大使の主催で、帝国ホテルで行われた。音楽関係者だけでなく、詩、文学、映画、絵画など多くの文化人たちが集まり、ポーランドと日本の文化の交流の広さと深さをあらためてみる思いがした。ポーランドが自国の文化を発信するのにこれほどの力の入れようは、国のイメージを高めるためには経済力や政治力も必要だろうが、なによりも文化、ということに力点を置いているように見える。日本も見習うべき点は多い。ポーランドは歴史的にみて政治経済力や軍事力ではさんざん負けた経験を持つ国だからである。

追記:6月4日をもって1週間にわたるフェストも無事終了しました。多くの方々のご協力とピアニストのすぐれた演奏に感謝します。来年もやるかどうか,はいろいろの事情もあり,今のところ未定です。

日本ショパン協会の実態 [日本ショパン協会]

 考えてみると不思議な団体なのだ。「会」というからには当然会員がいる、と一般には考えるだろうが、会則には「会員」という項目はない。「理事」とか「会長」とかのとりきめがあるだけなのだ。「ショパン友の会」というものがあるにはあるが、これは日本ショパン協会のいわば「外郭団体」で会員数も少なく、ショパン協会運営に関して何らかの権限があるわけでもない。

 通常、このたぐいの会では「会員」がその中心をなし、会員の中から理事や役員や会長が選挙などで選ばれて実質的に会を運営する。そもそもこういう特異な会になったのにはそれなりの歴史的背景がある。発端は1960年、音楽評論家の野村光一先生を中心に当時日本のおもだったショパンの好きな音楽家が集まって、ショパンをダシにして酒を飲み、ケンケンがくがくの議論をたたかわす、いわば単なる「高級愛好家クラブ」(?)のような私的な集まりで、その体質を良くも悪くもこれまでずっとひきずってきた。

 それでもこの会ももう発足後50年を超え、その間ワルシャワのショパン協会はじめ、世界各地のショパン協会とも交流をもち、対外的にいろいろなショパンの音楽の普及のための研究、演奏活動をしてきた。そしてその功績が認められてポーランド政府からショパン生誕200年記念の年に文化勲章が贈られた。ということは、外部からは単なる愛好家の集まりとは見なされず、それなりの文化活動をしてきたれっきとした団体、と見られているのである。それにもかかわらず、協会内部の人間の意識の方がそれに追いついていないのが実態、といっていいかも知れない。極端なのになると国から金が出ている立派な国家機関、と見る人すら外国人の中にはいて、説明に困ることがある。

 それやこれやで、このあたりで、「一般会員」としてのとりきめをきちんとして、一般の人にも会員になってもらい、一般会員の中から役員を選挙で選ぶ、という「普通の団体」に脱皮する必要があると思う。もはや単なる「ショパン愛好家の仲良しクラブ」にとどまることはできない、という認識に達した。

ショパン生誕200周年記念レセプション(2) [日本ショパン協会]

 昨夜のNHKニュースでもかなりな時間を割いて報じられたのでご覧になった方も多いと思う。スポットの中心が今年のショパンコンクールで優勝したアヴデエーヴァは時の人で、そこに集中していたのは当然であり、それはそれでいい。しかし、あの場所に居合わせた私としては、ニュースというものがいかに皮相なことしか伝えないか、ということも実感した。

 あの日のレセプションに招待されたのは、ポーランド大使の意思として、これまでのショパンコンクールに参加してきたすべての日本人ピアニストを受賞した、しないに関わらず、全員が対象となった。ポーランド大使であるヤドヴィガ・ロドヴィチ氏は日本の伝統芸能である能に造詣が深く、自らも能のストーリーを作り、演じるという人物であり、日本文学古典も読みこなすほどの人で、能楽関係者も何人か招待されていた。さらにこの1年間ポーランドの文化普及に尽くした日本人、画家、漫画家、ジャズピアニストまで含め、あらゆるジャンルの人たちが招待された。それぞれの分野の功績に応じていろいろな賞や、記念品が贈呈されたのである。

 これからもポーランドは日本と手を携えて世界に文化を発信する、そのためにショパンという希代の天才がポーランドと日本ばかりでなく世界を結びつけることになった。以上のことが今回の最大の趣旨であったことは、ザサダポーランド公使、ドンブロフスキショパン研究所長のスピーチで表明された通りである。ポーランド国の最大の狙いであったと思う。

 いくらショパン記念の年とはいえ、タレントの結婚披露宴にも匹敵するような大金を投じて帝国ホテルでこのような催しを開催することは(そのやり方が適当かどうかはともかく)日本の政治姿勢ももっと見習うべきではないか。ポーランドが世界中で日本をいかに大切な文化交流の相手と考えているかの重要なメッセージなのである。(札幌)

ショパン生誕200周年記念レセプション(1) [日本ショパン協会]

IMG_1131.jpg
(レセプションで演奏をするアヴデエーヴァ)
 ポーランド駐日大使の主催するショパンイヤーを締めくくる大セレモニーが今年のショパンコンクールの優勝者ユリアナ・アヴデエーヴァ以下、マルタ・アルヘリチ、ダン・タイ・ソン、ミシャ・マイスキ、それにこれまでショパンコンクールに参加してきた日本のすべてのピアニスト、その他ショパンの音楽の普及に貢献した日本人を招待して盛大なレセプションが帝国ホテル桜の間で開催された。出席者はおよそ300人を超え、報道陣も加わっての一大イベントとなった。(詳細の報告は次項へ)


日本ショパン協会の叙勲 [日本ショパン協会]

 駐日ポーランド臨時大使ザサダ氏より書簡が届きました。それによれば:

「日本ショパン協会が日本におきましてフレデリック・ショパンの作品と生涯に関する知識の向上と普及のみならず、ポーランドに関する知識の普及、両国の文化交流にかけがえのない貢献をされた50年にわたる活動」(要旨)により、グロリア・アルティス文化功労銀勲章を授与する、旨のお知らせがありました。もともとこの叙勲は個人に対するものが本来で、「日本ショパン協会」という「団体」に対して贈られるのは極めて異例のこと、だそうです。

私個人に対する叙勲はすでにいただいているところですが、こうして「日本ショパン協会」にたいしてもこのような顕彰をいただいたのはこれからの協会の活動にも大変励みになることで大変有り難いことと受け止めております。日頃日本ショパン協会の活動に対していろいろご協力いただいているかたがたのご厚意の賜物、と深く感謝申し上げる次第です。

ちなみに授与式は12月2日帝国ホテルで行われる旨のお知らせも同時にいただきました。

ショパンの弾いたオルガン [日本ショパン協会]

 ワルシャワ大学のすぐ横にヴィジトキ教会というロココ風のあまり目立たない教会がある。今回ワルシャワにいったら見ておきたい、と思ったものの一つである。ショパン13才の時、毎日曜、生徒のミサのたびにショパンはオルガンを弾き、ほかの生徒たちは歌う、というふうだったようである。

 もとより、この教会もオルガンも何度かの戦火で消失したが、いまはほぼ昔の通りに再建されている。なぜ興味があるかというと、前にもブログで書いたが、ここでの経験が後のショパンの作風にすくなからず影響しているのではないか、と私は考えるからだ。

 ちょうど私が訪れたとき、夕刻のミサが始まるところだったので、私はずっと門外漢ではあるものの、一緒にミサに参加していた。こうして聞いているとそこで演奏される音楽は簡単な賛美歌、グレゴリオ聖歌と思われるもの、などいろいろだが概して素朴なものであった。オルガンに合わせて歌う独唱、それと会衆と交互に歌う交唱などこういうごく素朴な形のミサは多分これと似た形でショパンの時代からずっとつづいているのではあるまいか、と思えてくるから不思議だ。そもそもこういう日常的な民衆のためのミサは本来素朴なものであって、日本人である我々は、ミサというとすぐバッハとかベートーヴェンといった超大曲を思いうかべ、いや、もう、かなわん、となる悪い癖がある。

 ここでショパンがどんな音楽に接したかは明らかではないが、グレゴリオ聖歌やおそらく中世の音楽にも触れたことであろう。ショパンのあまり演奏されないノクターンなどにこういうオルガンの中世音楽の影響がいたるところに顕著にあるのだが、ふだんあまりこういう面は指摘されない。ショパンの心臓が祭られている祭壇を見てもショパン理解に直接役立たないが、こういうものを見ることで、案外身近に当時の雰囲気を知ることは出来るのではないか。

ショパンのコンチェルト弦楽4重奏版(3) [日本ショパン協会]

 日本ショパン協会名古屋支部で室内楽版のコンチェルトの演奏会をすることになり、私は本番は聴けないのでそのリハーサルに出かけた。弦楽四重奏でコンチェルトを弾ける、という手軽さもあって、かなりこの演奏会は増える傾向にあるが、私はある種の危惧の念を持っている。

 演奏上いくつか問題点がある。まずコミネックの編曲自体の問題。それと演奏者の理解の問題。この編曲をピアニストも弦奏者も弦楽四重奏をオーケストラの代用品、と考えている限りこのヴァージョンの演奏はうまく行かない。私は昨日のリハーサルでこの編曲のミスの訂正から、編曲がうまく行ってないところの変更を、弦楽の人たちと奏法と、演奏効果の観点の双方から相談をしながら決めてきた。

 何より大事なことはこの編成で「音楽として過不足なくいい響きで聴衆にきかせられる」ことが至上の命題になる。これが達成できないと聞き手からは「やはりオケでないとダメじゃないか」という失望感しか生まれない。じゃあフルオケなら問題は生じないか、というと必ずしもそうではない。が、オケの問題はここではさておく。

 昨日は朝10時から、夕方6時近くまでかなりの練習時間が取れたので、私の意見はほぼすべて演奏者に伝えて、うまく行かないところの処理方法もピアニスト側にも弦奏者の側にも納得してもらいながらリハーサルを進めた。その結果100%とは決していえないがかなりいい方向に向き、これでコンサートもうまく行くだろう、という安心感をもって帰京した。

 私としては完全な版の出版、も考えたが、コミネックの版権の問題があるのでそれはするつもりはない。コントラバスのパート譜も含め、日本ショパン協会名古屋支部にその訂正版が保存してあるので必要な方にはお使いいただける。が、これとても、名古屋での演奏者の技量や、個々の奏者の特性も含めて考えだした結果なのですべてのケースに適用できるかどうかわからない。

第16回ショパンコンクール(1) [日本ショパン協会]

 どうしようかとずいぶん迷ったのだが、何とかスケジュールの都合をつけてけっきょく行くことにきめた。生誕200年記念のワルシャワの盛り上がりぶりを目で確かめておきたかったことと、妻はワルシャワには一度も行ったことがないので今回は同伴することにした。

 私の資格の名目はコンクール鑑賞ツアーのコンダクター、ということなのだが、私よりずっとショパンコンクールに関心を持ち、マニアック的に詳しい参加者が大半なのだから、私が一般参加者にレクチャーすることはほとんど何もない、というより彼らの方がはるかに詳しいのだから何のために私ごときコンダクターが必要なのかよくわからないのが実態といえる。一方妻の方は一般参加者であるからして彼女には私がそれなりにレクチャーすることになる。

 ワルシャワに行くのはいいのだけれど、いろいろな行事、学会やらなにやら、あれにもこれにも出席するように、という招待状がいくつか来ていて、それに出席するのが鬱陶しく、これらはすべて断った。であるからして、私は観光客気分で気楽に行こうという魂胆なのでである。

 今年は書類審査、現地の審査員によるスクリーニングを経て最終的に81人が第1次予選にエントリーすることになる。私の手元にはそのピアニストの名簿が送られてきているが、81人のうち、17人が日本人で最多。つぎに香港、中国、台湾を含めた中国系、3番目地元ポーランド。ついで韓国、ロシア(もしくはロシア系)という順序になる。どれも数がはっきりしないのは外国籍を持っている人が中国系には多いので実際の数は日本とそう変わらないかも知れない。あとはUSA,イタリア、フランス、オーストリア、ドイツ、スイスなどが一人、二人、ちらほら、という感じ。スペイン、イギリス、オランダ、ハンガリー、北欧などにいたってはゼロ、という風でショパンコンクールに対する関心度の高い順にならんでいるなあ、というのがとりあえずの感想。

反省してもしかたがないが・・・ [日本ショパン協会]

 いろいろと私の目の行き届かないところで,やはり問題は起きていたようである。これだけの催しで何もおこらない方が不思議,と思っていたのだが人間関係。私としてはずっと気をつけていたつもりだが、やはり抜かりはあったようだ。頭を抱えているところ。

 人と人との関係が一番難しい。金で済むことならまだしも簡単なのだが感情の問題は後々までしこりが残る。が、原因はみんなもとはといえば善意から出ていることである。これだけは救いで、いずれ誤解が解けるよう私は努力をつづける。(札幌でのひとりごと)

反省、以上終わり。

長いようで短かった2週間 [日本ショパン協会]

 ショパンフェスティバルin表参道が5日の最終日をもって終わった。長いようであっという間のような気もする。2週間で25回のコンサートやレクチャー、それもこれまで書いてきたように私の当初の予想を超える充実した内容であり、できばえといえる。思えば当初、これだけのことをやるのは人的にも,経済的にもほとんど不可能に見えた。が,少しずつ内容をつめていくうちになんとかいけるのではないか,という見通しも立ってきた。反省点は多々あるが,主な点を上げれば:

 一つはPRが必ずしも十分とはいえなかったこと。プログラムの内容も満足に知られていなかったという点は今後の反省点にはなろう。それにも関わらず,トータルで2500人の入場者、というから、平均すればほぼ毎日だいたい定員に近い入場者であったことはそれ相応の関心はもってもらえた,ということであろう。

 二つ目は日本ショパン協会の問題点がいくつか浮き彫りになってきたということ。一生懸命ご協力いただいた理事の方々も勿論多かったが、なかには期間中,一度も顔すら見せられなかった,という方も多い。勿論この団体はボランティアであるし、個々にはいろいろな事情があるから強制できる性格のものではないので、一概にダメだとはいえないが、やはり理事という仕事をお受けいただいたからにはそれ相応の関心は持っていただきたかったと思うのだ。会長と事務局任せ,は問題である。

 ただ、今回の催し物を通じて日本ショパン協会という,研究団体的な性格は強く打ち出されていたと思うし、少なくとも日本には類似の団体はほかには存在しない。世間的にもそのことを理解をいただけるきっかけにはなったのではないか。今後協会のあり方もこの路線を踏襲し,発展させていくのがいいのではないかと思っている。ありがたかったのは、ほとんどボランティアであるにもかかわらず、日本ショパン協会主催の企画ならばギャラなど二の次、喜んで協力したい、と申し出て下さる演奏家の方々の善意ににささえられた。これほど協会が信頼されている,と実感できたことである。

 ご多忙の中、大変ご協力いただいた演奏家、研究者、ポーランド大使館そしてとくに事務局の方々,またご来場いただいた聴衆の方々に深甚の謝意を申し述べる次第であります。



 
前の10件 | 次の10件 日本ショパン協会 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。