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眠れる森の美女 [バレエ]

谷桃子バレエ団の「眠れる森の美女」を東京文化会館で観る。有名な演目でありながら3幕全曲完全上演、というのは日本では珍しく、そうそういつでも観られる、というものではない。バレエを観るのは久しぶりで、何もかもが素人であるから終始華やかなステージを楽しんだ。もともと子供向けの童話をもとにチャイコフスキーが作曲したもので、子供にバレエに親しんでもらい、バレエの振興に一役買う、という目的で作られたもので、筋書きは至極単純、誰にもわかりやすい。そのせいか、観客はやはり子供が結構多い。子供にとって3時間にも及ぶ全3幕、退屈してうるさくなるのでは、という懸念は無用であった。

オーケストラは東京シティフィル、バレエの上手下手は私にはわからないが、音楽の方に興味が向くのは当然。チャイコフスキーのバレエ音楽といえば「白鳥の湖」「くるみ割り人形」が一般に有名でそれに比べると「眠れる森の美女」は有名だから名前は知っているが実際音楽を聴いた人は以外と少ないかもしれない。前ニ作があらゆる楽器、あらゆるアンサンブルに編曲されて演奏されるほど有名で、バレエを見たことのない人でも幾つかの場面の曲はどこか、何かで耳にしているはずである。

子供向けとはいえ、重厚なオーケストラのために書かれているから 、それはもう面白いが、ただ白鳥の湖やくるみ割り人形に比べると、音楽としてやや霊感に乏しい。オーケストレーションの巧みさで持っているようなもの、は言い過ぎか。一般に音楽として演奏されることが少ないのは多分その辺の理由による。とはいえ、盛り上がりにもかけないし、ここぞ、というところの音楽の詰めは流石である。子供も飽きないように一曲一曲が短いし、場面転換も鮮やかである。私に特に興味深かったのは第3幕の王子と王女の結婚式の場面で踊られる舞曲の数々。ポロネーズに始まり、マズルカ、ワルツ、ガヴォット、メヌエットなどいずれもロシア風ではあるが、ほぼ舞曲で埋め尽くされている感がある。

以下、いささか下世話の話になるが、日本でも音楽学校でバレエ科を併設している大学もいくつかある。これは多分それで経営が成り立つ、という実務面もあろうが、もともとフランスのグランドオペラにはかならずバレエの見せ所が作られており、グランドオペラ上演にもバレエが欠かせない、という面もある。ただ、オペラも、バレエも上演には莫大な金がかかる。初演当時「眠れる森の美女」も大当たりして100回以上の公演をしたものの、これだけの公演数をもってしても、なお必要経費がまかなえず、舞台装置や衣装など借金のかたに差し押さえられる憂き目を見た、と解説にはある。まして日本でこれだけ経費のかかるものが3回の公演でまかなえるわけがなく、文化庁の助成もあるものの、どうなっているのだろうか、と気になりながら小雨模様の文化会館を後にした。

あすなろう鉄道 [鉄道全般]

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昨年の暮れのこと。ご存知、超狭軌鉄道、旧近鉄内部八王子線が近鉄の経営を離れ、軌道をはじめとするインフラ部分は四日市市が負担をし、運転は近鉄が行う、3セク「あすなろう鉄道」に変貌したのを見に出かけた。内部線、八王子線全線を乗って見たが、ざっとみたところ大きな変化はない。新しい列車,と言っても完全な新製は中間車だけだが、ここに空調の設備を取り付けた。旧型車も改造を施して、3両固定ひと編成だけ、ブルーとクリームに塗り分けた。新幹線をイメージしたのだそうだ。私が見たのは内部駅の構内で、何やら何人か係員が乗り込んで整備中と見え、営業運転には乗ることはできなかった。

いずれは他の車両も空調をつけて同じような編成(全部で7編成とか) になる予定だそうである。もともと、地方鉄道としてはかなりの利用率があるので、廃線にしなければならない差し迫った事情があるわけではないが,超狭軌ゆえ、車両が老朽化しても,他の大手の車両を中古で購入する訳にはいかない。新製するとなれば膨大なコストがかかる。これが近鉄が手放したくなった最大の理由である。多分今後このコストを市が負担することになるのであろう。写真は撮って来たのだが場所が悪くどれもうまく撮れなかったので、友人であるYRFCの則松氏の了解を得て、拝借し、掲載させていただいた。今の人たちに乗ってもらうのには空調設備は必須であろうが、残りの編成は、ボツボツ、ということのようだ。

空調が整ったことによる嵌め殺しの窓、身障者用スペース、など近代的でスマートな車体に生まれ変わった。私の高校時代、三重交通の経営で、豚の鼻型のガソリンカー、木造客車を2軸の小型電機の牽引する列車、スイス方式とでもいうべき強力な電車が木造客車を牽く、など様々な昔懐かしい列車が思い出されて感無量。私の記憶にはないが、もっと以前は蒸気列車が走っていたそうで、昔から地方鉄道の経営は大変だったようである。機関車が、ケッソン,ケッソン(欠損)といって走る,と揶揄されていた。


私的座右の銘 [Literature]

元ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカの言葉。世界一貧しい大統領と言われる。資産は18万円相当の自家用車だけ。元左翼ゲリラで刑務所暮らしの経験を持つ。

「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

「優れたリーダーとは何かを成し遂げた人ではなく、自分よりもはるかにすぐれた人材を未来に残す人だ」

「社会と政治の乖離は重大な問題だ。このままでは何も良いことにはつながらない。そこでアウトサイダーが「救世主」として登場するわけだ」

(どれも実に的確なことを言う。今の日本にそのまま当てはまる。実に的確ではあるのだが、どの国も、どの人物もなかなかそうはなり難いのが、人間の持つ業というものだ)

一帯一路 [鉄道全般]

中国の鉄道のここ数年間の変貌ぶりのすごいのは先刻ご承知の通り。先日、毎日新聞で面白い記事が特集されていたので、それに基づいて私なりのささやかな知識とコメントを交えながらご紹介して見たい。

もともと陸続きだからユーラシア大陸の西の果てまで中国から直通列車があってもおかしくはない。これまでトルコ経由とか、様々のルートが話題に上ったがいずれも政治的、技術的理由で実現に至っていない。これは画期的なことと言える。北京や重慶などいくつかの中国の都市から、カザフスタン、モスクワ経由でポーランド、ドイツ、フランスを経て西はマドリードまで貨物列車が運行されているようである。13000キロ、21日かかる、というから、一日平均600キロ程度しか走らない計算になる。世界最長距離と時間の運行、ギネスブックものであろう。海上輸送よりは早いものの、鉄道なのになぜこんなに時間かかるの、というのが私の素朴な感想である。

シベリア鉄道のモスクワーウラジオストック間でも8日であるから、これは異常に遅い。もちろん、旅客列車と貨物列車の違いはあるにしても、である。原因は旧ソ連圏やスペインの広軌と標準軌で軌間が違う、というのが最大にネックであろう。中国からマドリードまでは、軌間が違うために国境で台車を履き替えるところが合計3箇所ある。中国/カザフスタン、ロシア/ポーランド、フランス/スペインのそれぞれの国境で台車を履き替えなければならない。台車を履き替えるために約半日を要するという。

もう一つの問題は行き帰りの輸送量の極端な違い。ヨーロッパ向けが貨車5両とすれば、中国向けが貨車1両いう割合のため、帰りの4両は機関車牽引では非効率なので船舶で輸送するのだそうだが、これさえもずいぶんと手がかかりそう。さすが中国、壮大といえば壮大。一日平均一便くらいのようだから、当然採算は取れないが、そこは昔の日本国鉄同様、国策としてやるのだから採算などはなから考えていない。

新聞の解説によれば、マラッカ海峡がアメリカ軍の支配下にあるので、何かことが起こったら、首根っこを押さえられるから、という恐怖感があるようである。それにしても、である。いくら国策とはいえ、この超赤字経営もギネスブック級ではなかろうか。新聞にはどこで撮影されたものかはわからないが、巨大な電機にひかれた貨物列車、複線電化の路線の写真が掲載されていた。

我が家の新年会 [プライベート]

いろいろの事情で私の系列の家族の新年会はなにもやっていなかった。十年近くも前、ある日行きつけの床屋でマスターとの雑談の中で「そういうものは長男が旗振らないと誰もやるなんて言わないよ」と言われてはっとした。私は四人兄弟の長男でありながら そういうことをなにもしてこなかった。不覚と言えば不覚。そういうことがあって毎年、私が呼びかけて、どこか適当なレストランを決めて兄弟と妹その連れ合いなど集まって、ここ6、7年やってきた。幸い、この年までだれ一人も欠けることなく、推移してきたのはよかった。皆が元気なうちにやっておかないとあとで後悔することになるかもしれない。こうやって昔話に興じると、私の持っていた父親像、など同じ兄弟でありながら、受け取り方も随分違っていたのは面白い。

それまでやらなかったのは、あながち私の怠慢のせいばかりではなく、それぞれ兄弟の家庭事情が影響したこともあったし、私も、連れ合いも、両方の家系がもともと新年会のような世間一般に行われる一族郎党新年には集まって酒を飲む、というようなことに全く無頓着であったせいもあって、なかなか踏み切れなかった。しかしみんな年をとってきたので、私も床屋のマスターがいうのももっともだと思うようになった。時間の余裕もでき、性格もみんなそれなりに丸くなり、客観情勢としてもやって喜ばれる雰囲気にはなってきた。というわけで、今年も同様にささやかな会を持った。たまたま、私が傘寿を迎えることと、昨年秋瑞宝中綬章を受けたのでその内祝いも兼ねた。こういうものはホテルなど借りて大々的に吹聴する人、もしくは多少へそ曲がりの人は勲章など辞退する、など反応は人さまざまだが、まあ内祝い程度が分相応、ということであろう。


めでたさも「中」くらいなりおらが春




Dispolok [メルクリン]

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形式番号から察するに(1116-902ー6)オーストリアではなかろうか。Taurusがデビューしたてで、まだいろいろなヴァリアンテが出回らない頃、面白いなあ、と思って買いおいたものである。車体に書かれているのは、Siemensの製造であること、www.dispolok.comとあるだけでHeimatbahnhofも書かれていなければ、国籍、鉄道名もいっさい書かれていない。多分Siemensが開発した新型機をアピールするための文字通りの売り込み用のdispolok社宣伝用機関車であろう。


買っては見たものの、どんな列車を引かせるのかわからないのでお蔵入りになっていた。車体中央にシルバーの無地の部分があり、このスペースをアドヴァタイジングにどうぞ、ということなのかもしれない。nissyさんのブログを見て、ここにHbfの広告を貼り付けて走らせるのもまた一興、と思った次第。こういうものをHbf例会で走らせてみたい。メルクリンをやっているうちに、実在しないような車両や列車、実在しないがいかにもありそう、あってもおかしくない、というイカモノにもこのところ興味が出てきている。

あとでわかったこと: やはりこれはオーストリアのリンツで最終組み立てが行われたようである。それぞれの部品はミュンヘン、グラーツ、クニッテルフェルト等からコンポーネントが送られ、リンツで最終組み立てが行われて、各地、各国に配属された。ただ、この広告用機関車がその後どうなったかはわからない。


Ge4/4 || [LGB]

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2016年元旦早々,すごいヤツが来た。大型客車を引かせる機関車としてレーティッシェ・バーンの狭軌用電機の中堅。Ge4/4 || 赤色塗装。LGBが一番のっていた頃の製品なので、実に細密によくできている。だいたいレーマンは頑丈だが少し大雑把、というイメージがあったが、これでそのイメージが払拭されたほど細部までよく作り込んである。客車とのバランスを考えたか、やや実車より短めの感がある。

ものすごく重い。もうこれ以上LGBは買うまい、と思っていたのだが、目の前にしてみるとやはりこれはどうしても欲しくなる憎い代物。よほど牽引力に自信があるのか、ゴムタイヤがない。Arosaのネーム入りだが、これは必ずしもアローザ線のみで使われるわけではない。最近は広告入りのものが増えて来ているが、広告なしのピュアな赤色版はなかなか手に入らない、という意味でも貴重な戦力となろう。

新年おめでとう [一般向け]

あけましておめでとうございます

今年も皆様にとっていいとしでありますように

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バッハの「フーガの技法」第5番 終結部分。1751年ライプツイヒで刊行された初版の一部。楽譜の余白に美しい装飾が施された貴重なもの。自筆稿ではなく印刷譜ですが、これ自体芸術品のよう。



コントラバス [音楽全般]

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弦楽器の演奏家には釈迦に説法だが、弦楽器群のうちヴァイオリン属に分類されるのがヴァイオリン、ヴィオラ、チェロであって、大きさこそ違うが同じ先祖を持つ。ところがコントラバスだけはヴィオル属でヴィオラ・ダ・ガンバなどと同じ先祖を持つ。弦楽合奏の中でコントラバスだけが違う家系に属することになる。バロック時代にはヴィオローネと呼ばれたが、我々の知っているコンバスとどう違うのかはわたしにもよくわからない。このヴァイオリン属と同じ形の楽器は先述の高山さんが特注で作られた、チェロの形をしてはいるが、紛れもないコントラバスなのである。だから、正確にはコントラチェロとでも呼ぶべきかもしれない。ヴァイオリンと全く同じ形状だが、楽器の体積は通常のコントラバスと同じになるよう設計されているのだそうだ。

これは高山さんの発明になるものかどうかは聞きそびれたが、室内楽、もしくはソロに使うにはとてもいいのだそうだ。ご覧のように4弦である。もちろん高山さんの素晴らしい演奏技術があってのことだが、室内楽の中でも軽快に響き、しかも低音の重厚さも兼ね備えている。通常コンバスは立って弾くか、コンバス専用の高い椅子(パチンコ台の椅子の少し背の高いようなもの)を使って演奏されるが、これは通常の椅子に腰掛けて演奏されるので、見かけ上はでっかいチェロだなあ、という印象である。(少し正確にいうと、背もたれなしのピアノ用椅子をやや高めに設定する)

この楽器で先日のシューマンのピアノ六重奏が演奏されたのである。そのせいかどうか、他の楽器と音色が実によく溶け合い、私は終始聞き惚れていた。5弦のコントラバスは通常室内楽には音が重すぎて使わないそうだが、大編成のオーケストラには欠かせないものだ。



ABSCHIEDKLAVIERABEND [ピアノ音楽]

勝手にそう私が名付けたのである。恒例のりべーろ・とまりむらのサロンコンサートも33回を迎え、私もあとひと月ちょっとで80歳を迎える。まだ五十何才の頃から、80までやってください,と言われていたけど,絵空事だと思っていた。がいつの間にかその年を迎えることになってしまった。やっとなんとか約束は果たせたとほっとした。33回毎年欠かさず続いたコンサートもここで一区切り、ということでショパン・ブラームス・グリークのプログラムのピアノリサイタルで「さようなら」を告げた。自分でもこのところ集中力がかなり落ちて来た、と正直思う。それにしても、毎年5000円もの会費を払い、当初からの会員がずっと続けて来てくださる方がほぼ半数以上を占め、毎回私が企画し、演奏するコンサートを楽しんでくださったのである。

この年になると、世の中のことがいろいろ見えて来て、毎回満席ではあるものの、切符を売ったり、とだいぶん無理がいっているのではないか、と心配になるものである。お金持ちのスポンサーがあるわけでもない。同じピアニストの演奏を33回とまで言わなくても、特別な天才でもない限り通常2,3回も聞けば、もういい、となるのが世の中の趨勢であることも知っている。毎年、このコンサートを聞かないと年が越せない、と言われてそれを励みに続けて来たが、そろそろ限界に近い、高額の入場料を払って来ていただくには正直、申し訳ない、という気持ちも働く。

本当のところはどうかわからないけど、主催者側は無理に切符を売ることなど全くない,自然にそうなって来たのだと言われつづけて毎年12月29日一度も欠かさずやって来た。何処かに無理が言っていれば33回は続くまい。自然体だからこそ33年も続いたのであろう。多くの優秀な音楽家仲間にも安いギャラで共演をお願いした。その方々のご協力あってこその賜物である。厚くお礼申し上げたい。こういう企画を続けられたのも長年培った人脈のおかげ。33年前といえばこういうサロン形式のコンサートはまだほとんどなく、それも地方都市でりべーろ・とまりむらのような集まりは多分草分け的な存在であろう。

まだ元気なのだからここで終わるのは淋しい、リサイタルとかでなくてもいいから何かの形でこの集まりを続けて欲しい、と言われる。しかし私もさすがに少し年を取りすぎた。もちろん90才でもまだコンサートを引退しないピアニストもなくはない。ただ、自分が衰えたことも自覚せず、この年でまだ弾くだけでもすごい、と同情されながら弾き続けるのは少なくとも私の美学には合わない。はた迷惑というものだ。何事も初めがあれば終わりがあるものである。

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