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南西諸島のツアー(3) [旅行]

第三日

午前中、石垣島北端の川平湾の海底珊瑚を見るクルーズ。船底がガラスになっていて、海底がすべてそのまま見ることができる。南西諸島は大抵どこでもそうだが、島の周りは何十メートル沖合まで珊瑚礁なので、水深が遠浅になっていて、透明でそれはそれは美しい。サンゴといっても何百種類もあって、それぞれに風情があって見事な海底植物園を見るようだ。その間を縫って様々の熱帯魚が泳ぎ回るのを見ていると、熱帯魚を巨大な水槽に入れて家庭で飼っている人が知人にいるが、ジオラマを作って模型鉄道を走らせる趣味に似ているなあ、という感じもする。

海底は意外に複雑な地形をしていて平らなところあり、崖っぷちありだが、ほとんど水面に近いところもあるから、よく船頭さん、船がぶつからないなあ、と感心したら、「私たちはここの地形を熟知していますからね。なにも知らない人が船を動かせばそりゃすぐぶつかります」という答えが返ってきた。

午後は飛行機で宮古島に移動。わずか15分のフライトだが、立派な737-800、これも満席である。
島北端の池間島にバスで向かう。ここの周りの小島はすべて橋でつながっていて、バスで移動できる。池間島の手前にショボイ店が数件立ち並ぶところでお土産買いのために停車。しょうがないなあ、と私はバスから離れなかったが、妻は思いもかけないものを発見し、早速買い込み、生産者の住所電話まで聞き、意気揚々と帰ってきた。ゲットしたのは島に自生するヤエヤマアオイから抽出する「ノニ」。ノニ、とはハワイの言葉らしいが、これで難病を治したという人の話をこれまでに聞いていた。

「ノニ」はネットでも買えるが、一びん6000円もする。ここで買えば半額の3000円。早速試してみたら、三日間の旅行で疲れ気味になっていた体が急にシャンとしたという。(私はその種のものはあまり信じないのでフーンと聞き流していたが)。夜は宮古島東急ホテル&リゾーツに投宿。

南西諸島のツアー(2) [旅行]

こういうものはすぐに忘れてしまうから、以下は自分のための島巡りの簡単な忘備録。

第一日

全日空機で石垣島に直行。今日の予定はそれだけ。すぐ全日空インターコンチネンタルホテルにバスで10分ほど。石垣島なんてせいぜいB-737くらいだろうと思っていたら、最近滑走路が延長されて、今日の搭乗機は最新鋭B-787、例のバッテリの不具合で当初物議を醸した機材で平日だが満席。空港もマルタ島やクレタ島のように地面にタラップで降ろされるのではなく、7つもの搭乗口のある近代的なもの。今はどんな地方空港でも空港ビルから直接飛行機に乗れるから、タラップで乗降するのは国賓級のクラスの人だけになった。

第二日

西表島まで高速船で約40分。仲間川クルーズの小型船に乗り換える。川があまり深くないので普通の形の船は無理らしい。これは船というよりはトロッコ列車の「トラ」の車輪を外したような形にエンジンをつけたようなものに近い(Wie der alte Aussichtswagen bei der Rh.B)。膨大な量と種類の多いマングローブを見物する。「マングローブ」とは植物の名前かと思っていたが、実は海水の潮水と真水が交わるところに生息する植物一般を指す。片道25分くらい川を遡ってもまだまだマングローブは先まであるところを見ると、こんな上流まで潮の満ち引きがあるのだろうか。ジャングル、というのは生まれて初めて今回あちこちで間近で見ることができたが、植物の生え方の密度は本州の比ではない(unglaublich dicht)。太平洋戦争ではこんな歩行もできないところを過酷な死の行進は行われたのだ。

よくツアー広告の写真にあるおなじみの水牛車に揺られて海峡を渡る、という由布島観光もあった。軽自動車も平気で渡っているところをみると海底もサンゴ礁なのでタイヤが沈み込まないのである。海深もせいぜい10センチくらい。大した距離でもないので当然歩いても渡れるが歩いて渡る人は見かけなかった。ここの水牛は農耕用に多く使われていたが、今は牛口(?)が減っている。その再就職先がこの観光業なのだ。水牛の家系図が掲げられていて、「裕次郎」とか「小百合」とか一頭一頭に名前がつけられている。牛車の運賃はいくらか?に興味があったが、ツアー料金にコミコミだからわからなかった。発車時刻はきちんと表示されているが、到着時刻が不明なのは、相手が水牛機嫌次第だからであろう。

竹富島。ここがとても気に入って住み着いている作家もいるそうだが、わかる気もしないでもない。建築に厳しい制限があるので昔からの村の雰囲気がそのまま保たれている、小さい島全体が見事な統一体をなしている。島全体が国の文化財に登録されたのも当然といえば当然。竹富島もそうだが南西諸島の多くが標高せいぜい50メーターくらいの全く平たい島が多いので、地球温暖化が進めば真っ先に沈没するのではないか、という危機感はここへ来ると身近に感じる。こういう平たい地形では保水する山岳地帯がない。この竹富島は 石垣島からパイプで供給されており 島によっては地下水を汲み上げる。このあたりの小島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、雨は多い地方だがサンゴ礁はスカスカで水を貯めてくれない。そこでコンクリートの壁で囲った「地下ダム」に水を貯めている。なにしろ、名だたる「台風銀座」であるのだから水には不自由しない。問題はその保存法である。

南西諸島のツアー(1) [旅行]

作家の邱永漢が書いていた。「世界を旅行してその土地の新聞広告を見ると、そこの国の国民がなにに一番興味をもっているかが伺われて興味深い」。なるほどと思う。そういう目で日本の新聞広告を見ると、ツアーの募集広告が最大手の一角を占める。これは日本人がいかに旅行に興味があるかを示している。食うや食わずの生活では旅行どころではないから、なんとか言ってもやはり全体として見ると日本に限らず、先進国は一般的に旅行に時間と金を使う層がいかに厚いかがわかる。現在中国がそれに追随しているわけだ。でもこの日本の南の端の旅行では外国人を見かけるのはまだ極めて稀である。しかしこの素晴らしい亜熱帯地方、本土以上にはるかに自然環境がよく守られ、しかも旅行環境が十分整っている島々が彼らに席巻されるのも時間の問題であろう。

ツアーの旅行、と言ってもピンからキリまであるから一概に言えないが、私たちは今回「体に優しい」余裕のあるツアーを選んだのである。ツアー旅行で私はよくやるのだが、いつも旗を持っていく添乗員におとなしくついて歩くわけではなく、興味のない部分はずらかってパスし、必要な部分だけ合流する。その分金は無駄になるが、興味のないところまで無理に歩かされるストレスはなくなる。今回もそうしようと思ったが、案外と要領良く、楽なスケジュールが組まれていたので、どうやらツアー会社のスケジュール通りとなりそうである。朝は遅く出発、夕刻は4時~5時にはホテルに着くので、あれもこれもなんでも見る、というわけではないがどうせ物見遊山だからそれでいいのである。

今朝は早く目が覚めてしまったので、今これを宮古島の東急ホテルで書いている。今日が最終日となるので、多分これから先何事も起きなければ、那覇経由で東京に戻ることになる。

80年の歳月 [プライベート]

多くの方々からお祝いのメールやらチョコやらお花やらいただいたことをまず御礼を申し上げます。80年という長きにわたって生を享けたことを感謝とともに、長く生きたわりには大したことは何もしなかったなあ、という感慨で誕生日を迎えた。といって今日も特別何かしたわけではない。いつものようにピアノを弾き、メルクリンを走らせ、本を読み、春一番の中を散歩に出かけて、成城で行きつけのコーヒー店でコーヒーを飲み、というごく平凡な一日。

関係している大学は目下入試中で私は関係なし。関係団体の会議やイベントも今はなし。素晴らしきニッパチである。妻の誕生日と近いので、今年は合体してのイベント。明日から八重山諸島にツアーで行ってきまーす。これで日本は尖閣諸島を除けば、一番北から、南の端までとりあえずざっとではあるが見たことにはなる。

旅行は大好きで、鉄道のあるところはツアーなどは使わないが、鉄道のない、とくに離れ島のようなところは原則ツアーがいい。五島列島、マルタ島、それに今度の南西諸島のように島の数が多く、鉄道もなく、船便も不便、現地でいちいちレンタカーを借りるのも少し能率が悪いような場所は、いいツアーを選べばその方が楽チンで何も考えずに済む。ツアーもそう捨てたものでもないのだ。以前、利尻島に行った時,レンタカーを運転して回ったところが不勉強で肝心のところは見逃してしまった、という苦い経験もある。自分で車を運転して行くと、ただ走るばかりで何も見せてくれなかった、という妻の苦情も聞かなくて済む。


経済音痴vs経済学者 [経済]

マイナス金利など理論上あり得ない、と一昔前の経済学者は学説を垂れていたが、私は素人ながら理論上も実際的にも十分あり得る、と思っていた。それが現実になったに過ぎない。この所の円高、株安は世界的な要因が複雑に絡まっているので今後どうなるか、という不安でまだしばらくはこの流れは止まりそうにない。私は株は一株も所有していないから株安は関係がない、という風にも思っていない。中国の経済、ドイツ銀行の経営不安、BRICsの経済力低下、そして最大の懸念はもはや絶対に戻ることのない日本の巨額の債務。このいつか必ず発生する時にできる「ブラックホール」がどんなものか誰にも想像もつかない。

大した資産、と言えるほどのものは持っていない私でもかなり影響は受けている。「下流老人」にならないために、経済雑誌を読んで見てももう遅すぎるようで,経済雑誌のいう「老人」とは会社を定年になった65才を老人と規定しているから,80に手が届こうという超老人に参考になることはなに一つ書かれていない。もはや蚊帳の外なのである。

最大の私の資産は「健康」ではないかと思っている。重病になれば医療費がかかるだけでなく,その間は働けないから二重の損失になる。さいわい今のところ家族も含めて重病人を抱えていない。この年でもまだ働けてそこそこの収入はある,というのは,才能,というより単に僥倖に過ぎないと思っているから威張れるほどのものでもない。

一番の関心事はいつまでピアノを弾き続けられるか,ということで,ピアノを弾く、ということを私から取ってしまうとあとなにも残らない,という恐怖感はいつもある。まあと十年とは生きないであろうから,死後の私にとって世界経済がどうなろうとどうということはない。しかしこれからの人は大変だなあ,とは思う。

キャッスルのおじちゃん急逝! [プライベート]

ゆたかちゃん急逝の第一報が入った。学生であれ先生であれ、事務局員であれ、この人の世話にならなかった人は、少なくとも芸大音楽学部に関係した人には一人もいない。芸大の学食の主人であるが、なぜか昔からこの学食は伝統的に「キャッスル」と呼ばれていた。この立派な名称の由来は誰も正確には知らない。名称のイメージから程遠いボロい木造の学生食堂で、このマスターであるおじさん、私の世代は親しみを込めて「ゆたかちゃん」と呼んでいた。

たしか、彼は3人きょうだいで末っ子だがただ一人の男の子だったために、この仕事を継ぐことになったのであろう。上の二人の姉妹もその両親も知っているのは、私の世代が最後である。現在の奏楽堂のあたりに、昔は木造の平屋建ての建物があって、その一角が「キャッスル」として、学食でもあり、学生や先生の溜まり場でもあった。芸大の学長の顔は知らなくとも、この「キャッスル」一家とは皆顔なじみだったのは、単に学生食堂のマスターという以上に、いろいろマメに学生の悩み事の相談にものり、住宅難だった戦後は学生に下宿の斡旋をしてくれたり、と供食の本業以上に学内の先生の人事の移動から、卒業した学生の動向まですべて知り尽くしていたので、音楽学部の情報源でもあった。あのかき揚げソバうまかったなあ。

定年後、芸大に出向くのも、半分はゆたかちゃんの顔を見るのが楽しみで、デザートなど大サービスをしてくれるここのハンバークステーキをパクついたものだ。じつに残念である。まだ引退するほどの年ではない筈だが続報が待たれる。

続報 : 急性虚血性心不全(疑) サウナに入っている最中とか。。。先だって正月のキャッスルでの賀詞交換会で元気な顔を見たばっかりなのに。私と同い年だそうである。言葉もない。


桜島の噴火 [旅行]

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鹿児島に立つ前夜、桜島の噴火が報じられて気になっていた。鹿児島空港へのルートは飛行機は大抵宮崎あたりから九州上空に達し、一旦内陸から鹿児島湾(錦江湾)に出て、ごく近くに桜島を見ながら大きく右旋回しながら着陸体制に入る。ネットでは運行に支障はないことになっていたが、なにせ自然相手だから、いつまた噴火しないとも限らない。このルートは退屈な飛行機旅行の中でも抜群に美しく、いつも見入ってしまうのだが、TVの映像を見ると流石に怖い。飛行機のエンジンが火山灰を吸い込んで墜落したこともある。

この映像はホテルの窓から見たものだが、飛行機から見るのとほぼ逆方向から見ることになるが、どちらから見ても噴煙はおろか、雲ひとつない何時もの美しい桜島である。ただ違うのは、ホテルのフロントで外出用にどうぞ、とマスクを渡されたくらいなものでみたところ何も変わっていない。地元の人にとっては東京でTVを見るほどのインパクトはなく、日常茶飯事に見える。

来週は南西諸島に旅行の予定だが、これも北朝鮮のミサイルがちょうど上空を通るのと同じ日程に当たっているので、これも怖いといえば怖い。

追記 先ほど沖縄方面に向けてミサイルを発射した、というニュースが入ったから多分私の先島諸島旅行には影響はなさそう。

17回ショパン国際コンクール入賞者コンサート [ショパン]

入賞者6名のガラコンサートが日本各地でツアーをしているのでお聞きになった方は多いと思う。昨年は私の事情でポーランドに行けなかったので、聞いておいた方がいい、と思って東京芸術劇場で1/29に開催されたものを聞きに出かけた。すでに周知のことではあるが入賞者の名前を記しておく。

第一位 チョ・ソンジン(韓国) ポロネーズ賞
第二位 シャルル・リシャール=アムラン(カナダ) ソナタ賞
第三位 ケイト・リウ(アメリカ) マズルカ賞
第四位 エリック・ルー(アメリカ)
第五位 イーケ・(トニー)・ヤン(カナダ)
第六位 ドミトリー・シシキン(ロシア)

さすがに満席で日本人のショパンに対する関心の高さが伺われた。これが他のコンクールのガラコンサートであったらこうは行かないであろう。一通り聞いての感想を簡単に述べるのは難しい。それは入賞者の6人のプログラムが、ある人はスケルツォ一曲10分だけ、ある人はコンチェルトとアンコールまで含めて優に一時間を超える、というアンバランスなためもあるので、私の感想はごく限られた範囲でのものであることをご承知いただきたい。

当夜で一番印象に残ったのは最年少で入賞したイーケ・ヤンの「舟歌」であった。最年少にもかかわらず、ピアノの音の美しさをここまで引き出せる才能というのはそう滅多にあるものではない。優勝したチョはなるほど、と感心させるものはあるものの、このプログラムだけではなんとも言えない。(ハ短調のノクターン、幻想曲、Op18のワルツ)。 ケイト・リウこの人のアンコールに演奏した62ー1のノクターンは絶品であった。要するに総体的に言って早いテンポ、圧倒的な音量、といった馬力にもの言わせる、という現在の日本のコンクールの傾向とは逆の方向にある、ということに私たちはもっと気が付くべきであろう。特にショパンにおいてはそれがいえる。ピアニッシモの美しさと自然なニュアンス、というごく当たり前のことが評価されるのである。

ワルシャワからオーケストラも一緒に来る、という熱の入れようだが、オーケストラの方は問題なしとしない。ショパンのコンチェルトのトゥッティの部分、なぜあんなにテンポがめったやたら変わるのだろうか。一般にトゥッティの部分、そっけなく扱われすぎることが多いが、過不足なく表情とバランスを保ったいい演奏は私はポーランドで何度も耳にしたのだが、これは一体どうしたことか。

白鍵だけのピアノ [音楽全般]

時折にしか顔を出さないが、昨日、日本現代音楽協会の新年会に出席した。いつも、特に面白いことがあるわけではないが、思いがけない人に会える楽しみもある。今回は会場に面白い楽器が展示されていた。

遠目には普通の電子ピアノのキーボードに見えるが、近よって見るとなんと鍵盤が全部「白鍵」のみ。黒鍵がないのである。鍵盤の幅は普通のピアノと同じだが、全部白鍵だからどこが「ド」だかわからない。さらによく見ると、鍵盤の上に赤いLEDがついている。これが「ド」の目印のようである。黒鍵がない分、オクターブの幅は普通のピアノより寸法がのびるから、普通の手ではせいぜい6度に届かせるのが限度。

試作の主はピアノメーカーのY社。これ、まだ楽器として完成したものでもなく、名前すらついてないし、試作途上のものである。この楽器のみどころは、1オクターブを平均律半音で12の音の設定も可能だが、15の音に等分も可能、1/4音に分割も可能、さらにもっと多くの音に分割することもできるし、極端にいえば88鍵を1オクターブとして88等分にすることもできる。電子楽器だからこそできる芸当である。確かに面白いが,これ,弾きこなせる人がいるのか,と心配になるがそこはそれ、「現代音楽作曲家」の集団だから、新しい楽器としての可能性があるものか、ネーミングも含めていろいろ専門家の意見を聞きたい、というのが趣旨のようである。

一オクターブを15等分しても、隣の鍵盤同士の音程は私の耳ではまだ半音、と認識できる。が、私はいろいろ考えさせられた。われわれ当然、と思っている12等分の半音が音楽の絶対基準だと思っているのはひょっとすると西洋音楽系の偏見かもしれないのではないか。ちょっとしたカルチャーショックではあった。この楽器がこれから先どうなるのかなにもわからない。それよりもピアニストで通っている私がなぜ作曲家の集まりに顔を出して乾杯の音頭まで取らされることになるのか? このいきさつを説明するととても長くなるから今日はここまで。。。。

蛇足ながら「ビンゴゲーム」で「オバマ大統領と安倍首相が乾杯した銘酒」を当てた。幸先がいい。今年はいいことがあるかも。。。

音楽家は楽譜でものを考える [音楽全般]

数学者は数字や記号でものを考える。文学者は言葉や文字でものを考える。同じように音楽家は楽譜で物事を考える。なぜなら、数字や文字が記号であるのと同様、楽譜も記号であるからだ。子供の頃、まだ文字も読めない頃から楽譜に親しんでいると、自然と音楽家は楽譜で物事を考える習慣がついてしまっている。私は理数系が苦手だが、案外アインシュタインのように、音楽と理数系は近い、と考える人は多い。

楽譜の読めない人は、あんなもの、と顔をしかめる人が多いが、そういう人には、楽譜を記号と考えるからわからないのであって、模様として、絵として眺めることから勧めている。いい音楽は楽譜も素晴らしく美しい。よくない音楽は楽譜も綺麗でない。我々音楽家のよく使う言葉に「譜面づら」という言葉がある。作曲家の池ノ内友次郎先生がその最右翼だが、譜面づらが美しくない音楽はよく響かない、とよく言われていた。この言葉は案外奥が深い。確かに、ラヴェルの「ダフニスとクローエ」のオーケストラスコアは単に抽象絵画して眺めてもほれぼれするほど美しい。

私は算数が苦手で、ぼけているかどうかのテストに100から順に7を引いて行く、という課題があるが、一回目はできるがそれ以下になるともうおぼつかなくなる。これは若い時からそうであったから、今できないからといってボケた証拠にはならない。もう時効だから言っても差し支えないと思うが、歴史の時間、何が嫌かといえば、年代、年号を覚えなければならない、という経験をお持ちの方もあろう。私は、これを音符に置き換えて読み、さらにカンニングペーパーには音符に加え、伴奏和声までつけて筆箱に忍ばせておいたものだ。そこまでせずとも、音で覚えた方が覚えやすく、忘れにくい。なにさま、あんな複雑な楽譜を覚えて一晩楽譜も見ずにピアノを弾くのが職業だから。例えばフランス革命ならド、シ、ド、レ、1789といふうに。0は休符。これを音に置き換えてみるとなかなか音楽的なパッセージになるから忘れようがない。うちの電話番号、パスワードなどは音楽的なメロディになるよう、あらかじめ選んであるから、音楽的な人には覚えやすいが、情報の流出にもつながるから痛し痒しでもある。

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